オは、亜米利加《アメリカ》発見以後の事なり。埃及《エジプト》、亜剌比亜《アラビア》[#「亜剌比亜」は底本では「亜刺比亜」]、羅馬《ロオマ》などにも、喫煙の俗ありしと云ふは、青盲者流《せいまうしやりう》のひが言《ごと》のみ。亜米利加土人の煙を嗜《たしな》みしは、コロムブスが新世界に至りし時、既に葉巻あり、刻《きざ》みあり、嗅《かぎ》煙草ありしを見て知るべし。タバコの名も実は植物の名称ならで、刻みの煙を味ふべきパイプの意なりしぞ滑稽なる。されば欧洲の白色人種が喫煙に新機軸を出《いだ》したるは、僅に一事軽便なるシガレツトの案出ありしのみ。和漢三才図会《わかんさんさいづゑ》によれば、南蛮|紅毛《こうもう》の甲比丹《かびたん》がまづ日本に舶載《はくさい》したるも、このシガレツトなりしものの如し。村田《むらた》の煙管《きせる》未《いまだ》世に出でざりし時、われらが祖先は既にシガレツトを口にしつつ、春日《しゆんじつ》煦々《くく》たる山口の街頭、天主会堂の十字架を仰いで、西洋機巧の文明に賛嘆の声を惜まざりしならん。(二月二十四日)
ニコチン夫人
ボオドレエルがパイプの詩は元《もと》より
前へ
次へ
全34ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング