A一隊毎に隊長一匹を置くとぞ。是れ十六世紀の末葉、独人 Wierus が悪魔学に載する所、古今《ここん》を問はず、東西を論ぜず、魔界の消息を伝へて詳密なる、斯《か》くの如きものはあらざるべし。(十六世紀の欧羅巴《ヨオロツパ》には、悪魔学の先達《せんだつ》尠《すくな》からず。ウイルスが外にも、以太利《イタリイ》の Pietro d'Apone の如き、英克蘭《イングランド》の Reginald Soct の如き、皆天下に雷名あり。)又|曰《いはく》、「悪魔の変化《へんげ》自在《じざい》なる、法律家となり、昆侖奴《こんろんぬ》となり、黒驪《こくり》となり、僧人となり、驢《ろ》となり、猫となり、兎となり、或は馬車の車輪となる」と。既に馬車の車輪となる。豈《あに》半夜人を誘《いざな》つて、煙火城中に去らんとする自動車の車輪とならざらんや。畏《おそ》る可く、戒む可し。(五月二十八日)

     聊斎志異

 聊斎志異《れうさいしい》が剪燈新話《せんとうしんわ》と共に、支那小説中、鬼狐《きこ》を説いて、寒燈為に青からんとする妙を極めたるは、洽《あまね》く人の知る所なるべし。されど作者|蒲松齢《ほしようれい》が、満洲朝廷に潔《いさぎよ》からざるの余り、牛鬼蛇神《ぎうきだしん》の譚《ものがたり》に託して、宮掖《きゆうえき》の隠微を諷したるは、往々本邦の読者の為に、看過《かんくわ》せらるるの憾《うら》みなきに非ず。例へば第二巻所載|侠女《けふじよ》の如きも、実は宦人《くわんじん》年羹堯《ねんかうげう》の女《ぢよ》が、雍正帝《ようせいてい》を暗殺したる秘史の翻案に外ならずと云ふ。崑崙外史《こんろんぐわいし》の題詞に、「董狐豈独人倫鑒《とうこあにひとりじんりんのかんならんや》」と云へる、亦《また》這般《しやはん》の消息を洩らせるものに非ずして何ぞや。西班牙《スペイン》にゴヤの Los Caprichos あり。支那に留仙《りうせん》の聊斎志異《れうさいしい》あり。共に山精野鬼《さんせいやき》を借りて、乱臣賊子を罵殺せんとす。東西一双の白玉瓊《はくぎよくけい》、金匱《きんき》の蔵《ざう》に堪へたりと云ふべし。(五月二十八日)

     麗人図

 西班牙《スペイン》に麗人あり。Dona Maria Theresa と云ふ。若くしてヴイラフランカ十一代の侯 〔Don Jose' Alvalez de Toledo〕 に嫁す。明眸絳脣《めいぼうかうしん》、香肌《かうき》白き事|脂《し》の如し。女王マリア・ルイザ、その美を妬《ねた》み、遂に之を鴆殺《ちんさつ》せしむ。人間《じんかん》止《とど》め得たり一香嚢の長恨ある、かの楊太真《やうたいしん》と何《いづ》れぞや。侯爵夫人に情郎《じやうらう》あり。Francesco de Goya と云ふ。ゴヤは画名を西班牙に馳《は》するもの、生前|屡《しばしば》ドンナ・マリア・テレサの像を描《ゑが》く。俗伝にして信ずべくんば、Maja vestida と Maja desnuda との両画幀《りやうぐわたう》、亦《また》実に侯爵夫人が一代の国色を伝ふるが如し。後年|仏蘭西《フランス》に一画家あり。Edouard Manet と云ふ。ゴヤが侯爵夫人の画像を得て、狂喜|自《みづか》ら禁ずる能《あた》はず。直《ただち》にその画像を模して、一幀《いつたう》春の如き麗人図を作る。マネ時に印象派の先達《せんだつ》たり。交《かう》を彼と結ぶもの、当世の才人|尠《すくな》からず。その中に一詩人あり。Charles Baudelaire と云ふ。マネが侯爵夫人の画像を得て、愛翫《あいがん》する事|洪璧《こうへき》の如し。千八百六十六年、ボオドレエルの狂疾を発して、巴里《パリ》の寓居に絶命するや、壁間|亦《また》この檀口雪肌《だんこうせつき》、天仙の如き麗人図あり。星眼|長《とこし》へに秋波を浮べて、「悪の華《はな》」の詩人が臨終を見る、猶《なほ》往年マドリツドの宮廷に、黄面の侏儒《しゆじゆ》が筋斗《きんと》の戯《ぎ》を傍観するが如くなりしと云ふ。(五月二十九日)

     売色鳳香餅

 支那に龍陽《りやうやう》の色《しよく》を売る少年を相公《しやうこう》と云ふ。相公の語、もと像姑《しやうこ》より出づ。妖※[#「女+堯」、第4水準2−5−82]《えいぜう》恰《あたか》も姑娘《こぢやう》の如くなるを云ふなり。像姑相公同音相通ず。即《すなはち》用ひて陰馬《いんば》の名に換へたるのみ。支那に路上春を鬻《ひさ》ぐの女《ぢよ》を野雉《やち》と云ふ。蓋《けだ》し徘徊|行人《かうじん》を誘《いざな》ふ、恰《あたか》も野雉の如くなるを云ふなり。邦語にこの輩を夜鷹《よたか》と云ふ。殆《ほとんど》同一|轍《てつ》に出づと云ふべし。野雉の語行はれて、野雉車
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