にち》借り来つて示すべしと。翌日|即《すなはち》之を見れば、風枝抹疎《ふうしまつそ》として塞煙《さいえん》を払ひ、露葉蕭索《ろえふせうさく》として清霜を帯ぶ、恰《あたか》も渭川《ゐせん》淇水《きすゐ》の間《かん》に坐するが如し。※[#「行がまえ<干」、69−下−4]《かん》感歎|措《お》く能《あた》はず。大いに聞見の寡陋《くわろう》を恥ぢたりと云ふ。※[#「行がまえ<干」、69−下−5]の如きは未《いまだ》恕《じよ》すべし。かの写真版のセザンヌを見て色彩のヴアリユルを喋々《てふてふ》するが如き、論者の軽薄唾棄するに堪へたりと云ふべし。戒めずんばあるべからず。(一月二十三日)

     俗漢

 バルザツクのペエル・ラシエエズの墓地に葬らるるや、棺側に侍するものに内相バロツシユあり。送葬の途上同じく棺側にありしユウゴオを顧みて尋ぬるやう、「バルザツク氏は材能の士なりしにや」と。ユウゴオ※[#「口+弗」、第3水準1−14−92]吁《ふつく》として答ふらく「天才なり」と。バロツシユその答にや憤《いきどほ》りけん傍人《ばうじん》に囁《ささや》いて云ひけるは、「このユウゴオ氏も聞きしに勝《まさ》る狂人なり」と。仏蘭西《フランス》の台閣《だいかく》亦《また》這般《しやはん》の俗漢なきにあらず。日東帝国の大臣諸公、意を安んじて可なりと云ふべし。(一月二十四日)

     同性恋愛

 ドオリアン・グレエを愛する人は Escal Vigor を読まざる可《べ》からず。男子の男子を愛するの情、この書の如く遺憾なく描写せられしはあらざる可し。書中若しこれを翻訳せんか。我当局の忌違《きゐ》に触れん事疑なきの文字少からず。出版当時有名なる訴訟《そしよう》事件を惹起《じやくき》したるも、亦《また》是等|艶冶《えんや》の筆《ひつ》の累《るゐ》する所多かりし由。著者 George Eekhoud は白耳義《ベルギイ》近代の大手筆《だいしゆひつ》なり。声名|必《かならず》しもカミユ・ルモニエエの下にあらず。されど多士|済々《せいせい》たる日本文壇、未《いまだ》この人が等身の著述に一言《いちげん》の紹介すら加へたるもの無し。文芸|豈《あに》独り北欧の天地にのみ、オウロラ・ボレアリスの盛観をなすものならんや。(一月二十五日)

     同人雑誌

 年少の子弟|醵金《きよきん》して、同人雑誌《ど
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