オは、亜米利加《アメリカ》発見以後の事なり。埃及《エジプト》、亜剌比亜《アラビア》[#「亜剌比亜」は底本では「亜刺比亜」]、羅馬《ロオマ》などにも、喫煙の俗ありしと云ふは、青盲者流《せいまうしやりう》のひが言《ごと》のみ。亜米利加土人の煙を嗜《たしな》みしは、コロムブスが新世界に至りし時、既に葉巻あり、刻《きざ》みあり、嗅《かぎ》煙草ありしを見て知るべし。タバコの名も実は植物の名称ならで、刻みの煙を味ふべきパイプの意なりしぞ滑稽なる。されば欧洲の白色人種が喫煙に新機軸を出《いだ》したるは、僅に一事軽便なるシガレツトの案出ありしのみ。和漢三才図会《わかんさんさいづゑ》によれば、南蛮|紅毛《こうもう》の甲比丹《かびたん》がまづ日本に舶載《はくさい》したるも、このシガレツトなりしものの如し。村田《むらた》の煙管《きせる》未《いまだ》世に出でざりし時、われらが祖先は既にシガレツトを口にしつつ、春日《しゆんじつ》煦々《くく》たる山口の街頭、天主会堂の十字架を仰いで、西洋機巧の文明に賛嘆の声を惜まざりしならん。(二月二十四日)
ニコチン夫人
ボオドレエルがパイプの詩は元《もと》より、Lyra Nicotiana を翻《ひるがへ》すも、西洋詩人の喫煙を愛《め》づるは、東洋詩人の点茶《てんちや》を悦ぶと好一対《かういつつゐ》なりと云ふを得べし。小説にてはバリイが「ニコチン夫人」最も人口に※[#「口+會」、第3水準1−15−25]炙《くわいしや》したり。されど唯軽妙の筆《ひつ》、容易に読者を微笑せしむるのみ。ニコチンの名、もと仏蘭西《フランス》人ジアン・ニコツトより出づ。十六世紀の中葉、ニコツト大使の職を帯びて西班牙《スペイン》に派遣せらるるや、フロリダ渡来の葉煙草を得て、その医療に効あるを知り、栽培《さいばい》大いに努めしかば、一時は仏人煙草を呼んでニコチアナと云ふに至りしとぞ。デ・クインシイが「阿片《アヘン》喫煙者の懺悔《ざんげ》」は、さきに佐藤春夫《さとうはるを》氏をして「指紋《しもん》」の奇文を成さしめたり。誰か又バリイの後《のち》に出でて、バリイを抜く事数等なる、恰《あたか》もハヴアナのマニラに於ける如き煙草小説を書かんものぞ。(二月二十五日)
一字の師
唐《たう》の任翻《じんはん》天台巾子峯《てんだいきんしほう》に遊び、詩を寺壁に題して云ふ
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