ゝ隣人をも兼ねているようである。菊池[#「菊池」に丸傍点]の家へ行くと、近所の子供が大ぜい集まって、菊池[#「菊池」に丸傍点]夫婦や、菊池[#「菊池」に丸傍点]の子供と遊んでいることが度々ある。一度などは菊池[#「菊池」に丸傍点]の一家は留守で、近所の子供だけが二三人で留守番をしていたことがあった。こういう工合に、子供たちと仲がいゝのだから、その子供たちの親たちとも仲のいゝのは不思議はない。僕等の間では、今に菊池[#「菊池」に丸傍点]は町会議員に選挙されはしないかという噂さえある。
今まで話したような事柄から菊池[#「菊池」に丸傍点]には、菊池[#「菊池」に丸傍点]の境涯がちゃんと出来上がっているという気がする。そうして、その境涯は、可也僕には羨ましい境涯である。若し、多岐多端の現代に純一に近い生活を楽しんでいる作家があるとしたら、それは詠嘆的に自然や人生を眺めている一部の詩人的作家よりも、寧ろ、菊池[#「菊池」に丸傍点]なぞではないかと思う。
底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親
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