想の好い顔をしたまま、身動きもしない玉蘭《ぎょくらん》の前へ褐色の一片を突きつけていた。
僕はちょっとそのビスケットの※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》だけ嗅《か》いで見たい誘惑を感じた。
「おい、僕にもそれを見せてくれ。」
「うん、こっちにまだ半分ある。」
譚《たん》は殆《ほとん》ど左利きのように残りの一片を投げてよこした。僕は小皿や箸《はし》の間からその一片を拾い上げた。けれども折角拾い上げると、急に嗅いで見る気もなくなったから、黙ってテエブルの下へ落してしまった。
すると玉蘭は譚の顔を見つめ、二こと三こと問答をした。それからビスケットを受け取った後《のち》、彼女を見守った一座を相手に早口に何かしゃべり出した。
「どうだ、通訳しようか?」
譚はテエブルに頬杖《ほおづえ》をつき、そろそろ呂律《ろれつ》の怪しい舌にこう僕へ話しかけた。
「うん、通訳してくれ。」
「好いか? 逐語訳だよ。わたしは喜んでわたしの愛する………黄老爺《こうろうや》の血を味わいます。………」
僕は体の震えるのを感じた。それは僕の膝《ひざ》を抑えた含芳《がんほう》の手の震えるのだった
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