――」
 譚は老酒《ラオチュ》に赤らんだ顔に人懐《ひとなつ》こい微笑を浮かべたまま、蝦《えび》を盛り上げた皿越しに突然僕へ声をかけた。
「それは含芳と言う人だよ」
 僕は譚の顔を見ると、なぜか彼にはおとといのことを打ち明ける心もちを失ってしまった。
「この人の言葉は綺麗《きれい》だね。Rの音などは仏蘭西人《フランスじん》のようだ。」
「うん、その人は北京《ペキン》生れだから。」
 僕等の話題になったことは含芳自身にもわかったらしかった。彼女は現に僕の顔へ時々素早い目をやりながら、早口に譚と問答をし出した。けれども唖《おうし》に変らない僕はこの時もやはりいつもの通り、唯《ただ》二人の顔色を見比べているより外はなかった。
「君はいつ長沙へ来たと尋《き》くからね、おととい来たばかりだと返事をすると、その人もおとといは誰《たれ》かの出迎いに埠頭《ふとう》まで行ったと言っているんだ。」
 譚はこう言う通訳をした後《のち》、もう一度含芳へ話しかけた。が、彼女は頬笑《ほほえ》んだきり、子供のようにいやいや[#「いやいや」に傍点]をしていた。
「ふん、どうしても白状しない。誰の出迎いに行ったと尋いてい
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