と、欄干《らんかん》にもたれながら、月を見てゐる男があつた。坊主頭の、どちらかと云へば背の低い、痩ぎすな男である。津藤は、月あかりで、これを出入の太鼓医者|竹内《ちくない》だと思つた。そこで、通りすぎながら、手をのばして、ちよいとその耳を引張つた。驚いてふり向く所を、笑つてやらうと思つたからである。
所がふり向いた顔を見ると、反《かへ》つて此方《こつち》が驚いた。坊主頭と云ふ事を除いたら、竹内と似てゐる所などは一つもない。――相手は額の広い割に、眉と眉との間が険しく狭つてゐる。眼の大きく見えるのは、肉の落ちてゐるからであらう。左の頬にある大きな黒子《ほくろ》は、その時でもはつきり見えた。その上|顴骨《けんこつ》が高い。――これだけの顔かたちが、とぎれとぎれに、慌《あわただ》しく津藤の眼にはいつた。
「何か御用かな。」その坊主は腹を立てたやうな声でかう云つた。いくらか酒気も帯びてゐるらしい。
前に書くのを忘れたが、その時津藤には芸者が一人に幇間《ほうかん》が一人ついてゐた。この手合《てあひ》は津藤にあやまらせて、それを黙つて見てゐるわけには行かない。そこで幇間が、津藤に代つて、その客に疎忽《そこつ》の詑をした。さうしてその間に、津藤は芸者をつれて、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》自分の座敷へ帰つて来た。いくら大通《だいつう》でも間が悪かつたものと見える。坊主の方では、幇間から間違の仔細《しさい》をきくと、すぐに機嫌を直して大笑ひをしたさうである。その坊主が禅超《ぜんてう》だつた事は云ふまでもない。
その後《あと》で、津藤が菓子の台を持たせて、向うへ詑びにやる。向うでも気の毒がつて、わざわざ礼に来る。それから二人の交情が結ばれた。尤《もつと》も結ばれたと云つても、玉屋の二階で遇ふだけで、互に往来はしなかつたらしい。津藤は酒を一滴も飲まないが、禅超は寧《むしろ》、大酒家である。それからどちらかと云ふと、禅超の方が持物に贅《ぜい》をつくしてゐる。最後に女色に沈湎《ちんめん》するのも、やはり禅超の方が甚しい。津藤自身が、これをどちらが出家だか解らないと批評した。――大兵肥満《だいひやうひまん》で、容貌の醜かつた津藤は、五分月代《ごぶさかやき》に銀鎖の懸守《かけまもり》と云ふ姿で、平素は好んでめくら縞《じま》の着物に白木《しろき》の三尺をしめてゐた
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