真鍮《しんちゅう》の眼鏡をかけた好人物らしい老人だった。
「いえ、何、お礼には及びません。」
彼等は竈に封印した後、薄汚い馬車に乗って火葬場の門を出ようとした。すると意外にもお芳が一人、煉瓦塀《れんがべい》の前に佇《たたず》んだまま、彼等の馬車に目礼していた。重吉はちょっと狼狽《ろうばい》し、彼の帽を上げようとした。しかし彼等を乗せた馬車はその時にはもう傾きながら、ポプラアの枯れた道を走っていた。
「あれですね?」
「うん、………俺たちの来た時もあすこにいたかしら。」
「さあ、乞食《こじき》ばかりいたように思いますがね。……あの女はこの先どうするでしょう?」
重吉は一本の敷島《しきしま》に火をつけ、出来るだけ冷淡に返事をした。
「さあ、どう云うことになるか。……」
彼の従弟は黙っていた。が、彼の想像は上総《かずさ》の或海岸の漁師町を描いていた。それからその漁師町に住まなければならぬお芳親子も。――彼は急に険しい顔をし、いつかさしはじめた日の光の中にもう一度リイプクネヒトを読みはじめた。
底本:「昭和文学全集 第一巻」小学館
1987(昭和62)年5月1日初版第1刷発行
前へ
次へ
全29ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング