》に佇《たたず》んだなり、反射的に「ええ」と返事をした。それから、――誰も口を利かなかった。
「すぐにここへよこしますから。」
「うん。………お芳一人かい?」
「いいえ。………」
玄鶴は黙って頷《うなず》いていた。
「じゃ甲野さん、ちょっとこちらへ。」
お鈴は甲野よりも一足先に小走りに廊下を急いで行った。丁度雪の残った棕櫚《しゅろ》の葉の上には鶺鴒《せきれい》が一羽尾を振っていた。しかし彼女はそんなことよりも病人臭い「離れ」の中から何か気味の悪いものがついて来るように感じてならなかった。
四
お芳が泊りこむようになってから、一家の空気は目に見えて険悪になるばかりだった。それはまず武夫が文太郎をいじめることから始まっていた。文太郎は父の玄鶴よりも母のお芳に似た子供だった。しかも気の弱い所まで母のお芳に似た子供だった。お鈴も勿論《もちろん》こう云う子供に同情しない訣《わけ》ではないらしかった。が時々は文太郎を意気地なしと思うこともあるらしかった。
看護婦の甲野は職業がら、冷やかにこのありふれた家庭的悲劇を眺めていた、――と云うよりも寧《むし》ろ享楽していた。彼女の過去は暗
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