せんようなら、御看病に上りたいと申しておりますんですが。」
 お鈴はこの頼みに応じる前に腰ぬけの母に相談した。それは彼女の失策と云っても差し支えないものに違いなかった。お鳥は彼女の相談を受けると、あしたにもお芳に文太郎をつれて来て貰うように勧め出した。お鈴は母の気もちの外にも一家の空気の擾《みだ》されるのを惧《おそ》れ、何度も母に考え直させようとした。(その癖又一面には父の玄鶴とお芳の兄との中間《ちゅうかん》に立っている関係上、いつか素気なく先方の頼みを断れない気もちにも落ちこんでいた。)が、お鳥は彼女の言葉をどうしても素直には取り上げなかった。
「これがまだあたしの耳へはいらない前ならば格別だけれども――お芳の手前も羞《はずか》しいやね。」
 お鈴はやむを得ずお芳の兄にお芳の来ることを承諾した。それも亦或は世間を知らない彼女の失策だったかも知れなかった。現に重吉は銀行から帰り、お鈴にこの話を聞いた時、女のように優しい眉《まゆ》の間にちょっと不快らしい表情を示した。「そりゃ人手が殖えることは難有《ありがた》いにも違いないがね。………お父さんにも一応話して見れば善いのに。お父さんから断る
前へ 次へ
全29ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング