せんようなら、御看病に上りたいと申しておりますんですが。」
お鈴はこの頼みに応じる前に腰ぬけの母に相談した。それは彼女の失策と云っても差し支えないものに違いなかった。お鳥は彼女の相談を受けると、あしたにもお芳に文太郎をつれて来て貰うように勧め出した。お鈴は母の気もちの外にも一家の空気の擾《みだ》されるのを惧《おそ》れ、何度も母に考え直させようとした。(その癖又一面には父の玄鶴とお芳の兄との中間《ちゅうかん》に立っている関係上、いつか素気なく先方の頼みを断れない気もちにも落ちこんでいた。)が、お鳥は彼女の言葉をどうしても素直には取り上げなかった。
「これがまだあたしの耳へはいらない前ならば格別だけれども――お芳の手前も羞《はずか》しいやね。」
お鈴はやむを得ずお芳の兄にお芳の来ることを承諾した。それも亦或は世間を知らない彼女の失策だったかも知れなかった。現に重吉は銀行から帰り、お鈴にこの話を聞いた時、女のように優しい眉《まゆ》の間にちょっと不快らしい表情を示した。「そりゃ人手が殖えることは難有《ありがた》いにも違いないがね。………お父さんにも一応話して見れば善いのに。お父さんから断るのならばお前にも責任のない訣なんだから。」――そんなことも口に出して言ったりした。お鈴はいつになく欝《ふさ》ぎこんだまま、「そうだったわね」などと返事をしていた。しかし玄鶴に相談することは、――お芳に勿論未練のある瀕死《ひんし》の父に相談することは彼女には今になって見ても出来ない相談に違いなかった。
………お鈴はお芳親子を相手にしながら、こう云う曲折を思い出したりした。お芳は長火鉢に手もかざさず、途絶え勝ちに彼女の兄のことや文太郎のことを話していた。彼女の言葉は四五年前のように「それは」を S−rya と発音する田舎訛《いなかなま》りを改めなかった。お鈴はこの田舎訛りにいつか彼女の心もちも或気安さを持ち出したのを感じた。同時に又|襖《ふすま》一重向うに咳《せき》一つしずにいる母のお鳥に何か漠然とした不安も感じた。
「じゃ一週間位はいてくれられるの?」
「はい、こちら様さえお差支えございませんければ。」
「でも着換え位なくっちゃいけなかないの?」
「それは兄が夜分にでも届けると申しておりましたから。」
お芳はこう答えながら、退屈らしい文太郎に懐のキャラメルを出してやったりした。
「じ
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