久保田万太郎氏
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)略《ほぼ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)微哀笑[#「微哀笑」に傍点]
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 僕の知れる江戸っ児中、文壇に縁あるものを尋ぬれば第一に後藤末雄君、第二に辻潤君、第三に久保田万太郎君なり。この三君は三君なりにいずれも性格を異にすれども、江戸っ児たる風采と江戸っ児たる気質とは略《ほぼ》一途に出ずるものの如し。就中後天的にも江戸っ児の称を曠《むなしゅ》うせざるものを我久保田万太郎君と為す。少くとも「のて」の臭味を帯びず、「まち」の特色に富みたるものを我久保田万太郎君と為す。
 江戸っ児はあきらめに住するものなり。既にあきらめに住すと云う、積極的に強からざるは弁ずるを待たず。久保田君の芸術は久保田君の生活と共にこの特色を示すものと云うべし。久保田君の主人公は常に道徳的薄明りに住する閭巷《りょこう》無名の男女なり。是等の男女はチエホフの作中にも屡その面を現せども、チエホフの主人公は我等読者を哄笑せしむること少しとなさず。久保田君の主人公はチエホフのそれよりも哀婉なること、なお日本の刻み煙草のロシアの紙巻よりも柔かなるが如し。のみならず作中の風景さえ、久保田君の筆に上るものは常に瀟洒たる淡彩画なり。更に又久保田君の生活を見れば、――僕は久保田君の生活を知ること、最も膚浅なる一人ならん。然れども君の微笑のうちには全生活を感ずることなきにあらず。微苦笑とは久米正雄君の日本語彙に加えたる新熟語なり。久保田君の時に浮ぶる微笑も微苦笑と称するを妨げざるべし。唯僕をして云わしむれば、これを微哀笑[#「微哀笑」に傍点]と称するの或は適切なるを思わざる能わず。
 既にあきらめに住すと云う、積極的に強からざるは弁じるを待たず。然れども又あきらめに住すほど、消極的に強きはあらざるべし。久保田君をして一たびあきらめしめよ。槓《てこ》でも棒でも動くものにあらず。談笑の間もなお然り。酔うて虎となれば愈然り。久保田君の主人公も、常にこの頑固さ加減を失う能わず。これ又チエホフの主人公と、面目を異にする所以なり。久保田君と君の主人公とは、撓《た》めんと欲すれば撓むることを得れども、折ることは必しも容易ならざるもの、――たとえば、雪に伏せる竹と趣を一にすと云うを得べし。
 この強からざる
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