久米正雄
――傚久米正雄文体――
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)浪曼主義者《ロマンチシスト》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)この[#「この」に傍点]久米は
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 ……新しき時代の浪曼主義者《ロマンチシスト》は三汀久米正雄である。「涙は理智の薄明り、感情の灯し火」とうたえる久米、真白草花の涼しげなるにも、よき人の面影を忘れ得ぬ久米、鮮かに化粧の匂える妓の愛想よく酒を勧むる暇さえ、「招かれざる客」の歎きをする久米、――そう云う多感多情の久米の愛すべきことは誰でも云う。が、私は殊に、如何なる悲しみをもおのずから堪える、あわれにも勇ましい久米正雄をば、こよなく嬉しく思うものである。
 この[#「この」に傍点]久米はもう弱気ではない。そしてその輝かしい微苦笑には、本来の素質に鍛錬を加えた、大いなる才人の強気しか見えない。更に又杯盤狼藉の間に、従容迫らない態度などは何とはなしに心憎いものがある。いつも人生を薔薇色の光りに仄めかそうとする浪曼主義《ロマンチシズム》。その誘惑を意識しつつ、しかもその誘惑に抵抗しない、たとえば中途まで送って来た妓と、「何事かひそひそ囁き交したる後」莫迦莫迦しさをも承知した上、「わざと取ってつけたように高く左様なら」と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下駄音と共に消すのも、満更厭な気ばかり起させる訳でもない。
 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸《くが》に米を啄《ついば》み家鴨は水に泥鰌《どじょう》を追うを悟り、寝静まりたる家家の向う「低き夢夢の畳める間に、晩くほの黄色き月の出を見出でて」去り得ない趣さえ感じたことがある。愛すべき三汀、今は蜜月の旅に上りて東京にあらず。…………
[#天から3字下げ]小春日や小島眺むる頬寄せて     三汀



底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
   1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一〜九、一二巻」岩波書店
   1977(昭和52)年7、9〜12月、1978(昭和53)年1〜4、7月発行

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