りとを流しへほうり出すと半ば身を起しながら、苦い顔をして、こんな気焔《きえん》をあげた。
「もっとも、当節《とうせつ》の歌よみや宗匠くらいにはいくつもりだがね。」
しかし、こう言うとともに、彼は急に自分の子供らしい自尊心が恥ずかしく感ぜられた。自分はさっき平吉が、最上級の語《ことば》を使って八犬伝を褒《ほ》めた時にも、格別|嬉《うれ》しかったとは思っていない。そうしてみれば、今その反対に、自分が歌や発句を作ることの出来ない人間と見られたにしても、それを不満に思うのは、明らかに矛盾である。とっさにこういう自省を動かした彼は、あたかも内心の赤面を隠そうとするように、あわただしく止め桶の湯を肩から浴びた。
「でございましょう。そうなくっちゃ、とてもああいう傑作は、お出来になりますまい。してみますと、先生は歌も発句もお作りになると、こうにらんだ手前の眼光は、やっぱりたいしたものでございますな。これはとんだ手前味噌《てまえみそ》になりました。」
平吉はまた大きな声を立てて、笑った。さっきの眇《すがめ》はもう側《かたわら》にいない。痰《たん》も馬琴の浴びた湯に、流されてしまった。が、馬琴がさっ
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