とうりんちゅう》が、風雪の夜に山神廟《さんじんびょう》で、草秣場《まぐさば》の焼けるのを望見する件《くだり》である。彼はその戯曲的な場景に、いつもの感興を催すことが出来た。が、それがあるところまで続くとかえって妙に不安になった。
仏参《ぶっさん》に行った家族のものは、まだ帰って来ない。うちの中は森《しん》としている。彼は陰気な顔を片づけて、水滸伝を前にしながら、うまくもない煙草を吸った。そうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持っている、ある疑問を髣髴《ほうふつ》した。
それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、いつも纏綿《てんめん》する疑問である。彼は昔から「先王《せんおう》の道」を疑わなかった。彼の小説は彼自身公言したごとく、まさに「先王の道」の芸術的表現である。だから、そこに矛盾はない。が、その「先王の道」が芸術に与える価値と、彼の心情が芸術に与えようとする価値との間には、存外大きな懸隔《けんかく》がある。従って彼のうちにある、道徳家が前者を肯定するとともに、彼の中にある芸術家は当然また後者を肯定した。もちろんこの矛盾を切り抜ける安価な妥協的思想もないことはない。実
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