(これは馬琴が和泉屋のある眼つきを形容した語《ことば》である。)そうして、煙草の煙をとぎれとぎれに鼻から出した。
「とても、書けないね。書きたくも、暇がないんだから、しかたがない。」
「それは手前、困却いたしますな。」
 と言ったが、今度は突然、当時の作者仲間のことを話し出した。やっぱり細い銀の煙管を、うすい唇の間にくわえながら。

     八

「また種彦《たねひこ》の何か新版物が、出るそうでございますな。いずれ優美第一の、哀れっぽいものでございましょう。あの仁《じん》の書くものは、種彦でなくては書けないというところがあるようで。」
 市兵衛は、どういう気か、すべて作者の名前を呼びすてにする習慣がある。馬琴はそれを聞くたびに、自分もまた蔭では「馬琴が」と言われることだろうと思った。この軽薄な、作者を自家《じか》の職人だと心得ている男の口から、呼びすてにされてまでも、原稿を書いてやる必要がどこにある?――癇《かん》のたかぶった時々には、こう思って腹を立てたことも、稀《まれ》ではない。今日も彼は種彦という名を耳にすると、苦い顔をいよいよ苦くせずにはいられなかった。が、市兵衛には、少しも
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