の方は、一つ御承諾くださいませんでしょうか。春水なんぞも、……」
「私と為永《ためなが》さんとは違う。」
馬琴は腹を立てると、下唇を左の方へまげる癖がある。この時、それが恐ろしい勢いで左へまがった。
「まあ私は御免をこうむろう。――杉、杉、和泉屋さんのお履物《はきもの》を直して置いたか。」
九
和泉屋市兵衛を逐《お》い帰すと、馬琴は独《ひと》り縁側の柱へよりかかって、狭い庭の景色《けしき》を眺めながら、まだおさまらない腹の虫を、むりにおさめようとして、骨を折った。
日の光をいっぱいに浴びた庭先には、葉の裂けた芭蕉《ばしょう》や、坊主になりかかった梧桐《あおぎり》が、槇《まき》や竹の緑といっしょになって、暖かく何坪かの秋を領している。こっちの手水鉢《ちょうずばち》の側《かたわら》にある芙蓉《ふよう》は、もう花が疎《まばら》になったが、向うの、袖垣《そでがき》の外に植えた木犀《もくせい》は、まだその甘い匂いが衰えない。そこへ例の鳶《とび》の声がはるかな青空の向うから、時々笛を吹くように落ちて来た。
彼は、この自然と対照させて、今さらのように世間の下等さを思い出した。下等な世間に住む人間の不幸は、その下等さに煩わされて、自分もまた下等な言動を余儀なくさせられるところにある。現に今自分は、和泉屋市兵衛を逐い払った。逐い払うということは、もちろん高等なことでもなんでもない。が、自分は相手の下等さによって、自分もまたその下等なことを、しなくてはならないところまで押しつめられたのである。そうして、した。したという意味は市兵衛と同じ程度まで、自分を卑しくしたというのにほかならない。つまり自分は、それだけ堕落させられたわけである。
ここまで考えた時に、彼はそれと同じような出来事を、近い過去の記憶に発見した。それは去年の春、彼のところへ弟子《でし》入りをしたいと言って手紙をよこした、相州朽木上新田《そうしゅうくちきかみしんでん》とかの長島政兵衛《ながしままさべえ》という男である。この男はその手紙によると、二十一の年に聾《つんぼ》になって以来、二十四の今日まで文筆をもって天下に知られたいという決心で、もっぱら読本《よみほん》の著作に精を出した。八犬伝や巡島記の愛読者であることは言うまでもない。ついてはこういう田舎《いなか》にいては、何かと修業の妨げになる。だから、
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