郎氏ほど、美しいと思つた記憶はない。古意を得るのは勿論《もちろん》結構であらう。けれども古意を得ないにしろ、この位綺麗になりさへすれば、少くとも不足は云はれない筈である。
 その後の「隅田川」を云々することは無用の弁を費すだけである。成程《なるほど》子役を使はなかつたのは注目に価する試みかも知れない。が、素人の僕などには論ずる資格もないと共に、論ずる興味もないことである。唯僕は梅若丸の幽霊などの出ないことを少しも不服に思はなかつた。いや、実はかう云ふ時にもわざわざ子役を使つたのは何かの機会に美少年を一人登場させることを必要とした足利時代の遺風かとも思つてゐる。僕は兎に角「隅田川」に美しいものを見た満足を感じた。――それだけ云ひさへすれば十分である。
 もし次手《ついで》につけ加へるとすれば、それは最初の興味を惹《ひ》いた能の看客のことである。バアナアド・シヨウはバイロイトのワグナアのオペラを鑑賞するには仰向けに寝ころんだなり、耳だけあけてゐるのに限ると云つた。かう云ふ忠告を必要とするのは遠い西洋の未開国だけである。日本人は皆、学ばずとも鑑賞の道を心得てゐるらしい。その晩も能の看客は大抵謡本を前にしたまま、滅多《めつた》に舞台などは眺めなかつた!



底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店
   1996(平成8)年9月9日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:松永正敏
2002年5月17日作成
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