は古来センティメンタリズムを脚下《きゃっか》に蹂躙《じゅうりん》する怪物である。金将軍はたちまち桂月香を殺し、腹の中の子供を引ずり出した。残月の光りに照らされた子供はまだ模糊《もこ》とした血塊《けっかい》だった。が、その血塊は身震《みぶる》いをすると、突然人間のように大声を挙げた。
「おのれ、もう三月《みつき》待てば、父の讐《かたき》をとってやるものを!」
声は水牛の吼《ほ》えるように薄暗い野原中に響き渡った。同時にまた一痕の残月も見る見る丘のかげに沈んでしまった。………
これは朝鮮に伝えられる小西行長《こにしゆきなが》の最期である。行長は勿論征韓の役《えき》の陣中には命を落さなかった。しかし歴史を粉飾《ふんしょく》するのは必ずしも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児《しょうに》に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?
「大唐《もろこし》の軍将、戦艦《いくさぶね》一百七十艘を率《ひき》いて白村江《はくそんこう》(朝鮮《ちょうせん》忠清道《ちゅうせいどう》舒川県《じょせんけん》)に陣列《つらな》れり。戊申《つちのえさる》(天智天皇《てんちてんのう》の二年秋八月二十七日)日本《やまと》の船師《ふないくさ》、始めて至り、大唐の船師と合戦《たたか》う。日本《やまと》利あらずして退く。己酉《つちのととり》(二十八日)……さらに日本《やまと》の乱伍《らんご》、中軍《ちゅうぐん》の卒を率いて進みて大唐の軍を伐《う》つ。大唐、便《すなわ》ち左右より船を夾《はさ》みて繞《めぐ》り戦う。須臾《とき》の際《ま》に官軍《みいくさ》敗績《やぶ》れぬ。水に赴《おもむ》きて溺死《しぬ》る者|衆《おお》し。艫舳《へとも》、廻旋《めぐら》することを得ず。」(日本書紀《にほんしょき》)
いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。何も金将軍の伝説ばかり一粲《いっさん》に価する次第ではない。
[#地から1字上げ](大正十三年一月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭
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