本の神隠《かみかく》しに、新解釈を加へたやうなものです。これはその後《ご》ビイアスが、第四の空間へはひる刹那《せつな》までも、簡勁《かんけい》に二三書いてゐる。殊《こと》に或少年が行方《ゆくへ》知れずになる。尤《もつと》も或る所までは雪の中に、はつきり足跡《あしあと》が残つてゐる。が、それぎりどうしたか、後《あと》にも先にも行つた容子《ようす》がない。唯、母親が其処《そこ》へ行《ゆ》くと、声だけ聞えたと云ふなどは、一二枚の小品だがあはれな気がする。ビイアスは無気味《ぶきみ》な物を書くと、少くとも英米の文壇では、ポオ以後第一人の観のある男ですが、(Amborose Bierce)御当人も第四の空間へでも飛びこんだのか、メキシコか何処《どこ》かへ行《ゆ》く途中、杳《えう》として行方《ゆくへ》を失つた儘《まま》、わからずしまひになつてゐるさうです。
 幽霊――或は妖怪の書き方が変つて来ると同時に、その幽霊――或は妖怪《えうくわい》にも、いろいろ変り種《だね》が殖《ふ》えて来る。一例を挙げるとブラツクウツドなどには、エレメンタルスと云ふやつが、時々小説の中へ飛び出して来る。これは火とか水とか土とか云ふ、古い意味の元素の霊です。エレメンタルスの名は元よりあつたでせうが、その活動が小説に現れ出したのは、近頃《ちかごろ》の事に違ひありますまい。ブラツクウツドの「柳」と云ふ小説を読むと、ダニウブ河へボオト旅行に出かけた二人《ふたり》の青年が、河の中の洲《す》に茂つてゐる柳のエレメンタルスに悩まされる。――エレメンタルスの描写《べうしや》は兎《と》も角《かく》も、夜営《やえい》の所は器用に書いてあります。この柳の霊なるものは、かすかな銅鑼《どら》のやうな声を立てる所までは好《よ》いが、三十三|間堂《げんだう》のお柳《りう》などとは違つて、人間を殺しに来るのださうだから、中々油断はなりません。その外《ほか》にまだ何《なん》とも得体《えたい》の知れない妙な物の出て来る小説がある。妙な物と云ふのは、声も姿もない、その癖|触覚《しよくかく》には触れると云ふ、要するにまあ妙な物です。これはド・モウパツサンのオオラあたりが粉本《ふんぽん》かも知れないが、私の思ひ出す限りでは、英米の小説中、この種の怪物の出て来るのが、まづ二つばかりある。一つはビイアスの小説だが、この怪物が通ることは、唯草が動くの
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング