教訓談
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)飢饉《ききん》
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(例)[#地から1字上げ](大正十一年十二月)
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あなたはこんな話を聞いたことがありますか? 人間が人間の肉を食つた話を。いえ、ロシヤの飢饉《ききん》の話ではありません。日本の話、――ずつと昔の日本の話です。食つたのは爺《ぢい》さんですし、食はれたのは婆《ばあ》さんです。
どうして食つたと云ふのですか? それは狸《たぬき》の悪企《わるだく》みです。婆さんを殺した古狸《ふるだぬき》はその婆さんに化《ば》けた上狸の肉を食はせる代りに婆さんの肉を食はせたのです。
あなたも勿論知つてゐるでせう。ええ、あの古いお伽噺《とぎばなし》です。かちかち山の話です。おや、あなたは笑つてゐますね。あれは恐ろしい話ですよ。夫は妻の肉を食つたのです。それも一匹の獣《けもの》の為に、――こんな恐ろしい話があるでせうか?
いや恐ろしいばかりではありません。あれは巧妙な教訓談です。我々もうつかりしてゐると、人間の肉を食ひかねません。我々の内にある獣の為に。
しかし最後は幸福です。狸は兎に亡されるのですから。
火になつた焚《た》き木を負《お》つてゐる狸、泥舟《どろぶね》と共に溺《おぼ》れる狸、――あの狸の死を御覧なさい。狸を亡すのは兎です。やはり一匹の獣です。この位意味の深い話があるでせうか?
わたしはあの話を思ひ出す度に、何か荘厳な気がするのです。獣は獣の為に亡され、其処《そこ》に人間は栄えました。ツアラトストラでもこの話を聞けば、きつと微笑を浮べたでせう。
あなたはまだ笑つてゐますね。お笑ひなさい。お笑ひなさい。あなたの耳は狸の耳なのでせう。
[#地から1字上げ](大正十一年十二月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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