−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)田舎《ゐなか》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一度|田舎《ゐなか》住ひを
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)かしら?[#底本では「?」の後は1字アキ]」
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)空々《そら/″\》しい
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
一 猫
彼等は田舎《ゐなか》に住んでゐるうちに、猫を一匹飼ふことにした。猫は尾の長い黒猫だつた。彼等はこの猫を飼ひ出してから、やつと鼠の災難だけは免《まぬか》れたことを喜んでゐた。
半年《はんとし》ばかりたつた後《のち》、彼等は東京へ移ることになつた。勿論猫も一しよだつた。しかし彼等は東京へ移ると、いつか猫が前のやうに鼠をとらないのに気づき出した。「どうしたんだらう? 肉や刺身《さしみ》を食はせるからかしら?[#底本では「?」の後は1字アキ]」「この間Rさんがさう言つてゐましたよ。猫は塩の味を覚えると、だんだん鼠をとらないやうになるつて。」――彼等はそんなことを話し合つた末、試みに猫を餓ゑさせることにした。
しかし、猫はいつまで待つても、鼠をとつたことは一度もなかつた。そのくせ鼠は毎晩のやうに天井裏《てんじやううら》を走りまはつてゐた。彼等は、――殊に彼の妻は猫の横着《わうちやく》を憎み出した。が、それは横着ではなかつた。猫は目に見えて痩せて行きながら、掃《は》き溜《だ》めの魚《さかな》の骨などをあさつてゐた。「つまり都会的になつたんだよ。」――彼はこんなことを言つて笑つたりした。
そのうちに彼等はもう一度|田舎《ゐなか》住ひをすることになつた。けれども猫は不相変《あひかはらず》少しも鼠をとらなかつた。彼等はとうとう愛想《あいそ》をつかし、気の強い女中に言ひつけて猫を山の中へ捨てさせてしまつた。
すると或晩秋の朝、彼は雑木林《さふきばやし》の中を歩いてゐるうちに偶然この猫を発見した。猫は丁度《ちやうど》雀を食つてゐた。彼は腰をかがめるやうにし、何度も猫の名を呼んで見たりした。が、猫は鋭い目にぢつと彼を見つめたまま、寄りつかうとする気色《けしき》も見せなかつた。しかもパリパリ音を立てて雀の骨を噛み砕いてゐた。
二 河鹿
或温泉にゐる母から息子《むすこ》へ人伝《ひとづ》てに届けたもの、――桜の実《み》、笹餅、土瓶《どびん》へ入れた河鹿《かじか》が十六匹、それから土瓶の蔓に結《むす》びつけた走り書きの手紙が一本。
その手紙の一節はかうである。――「この河鹿《かじか》は皆|雄《をす》に候。雌《めす》はあとより届け候。尤《もつと》も雌雄《めすをす》とも一つ籠に入れぬやうに。雌は皆雄を食ひ殺し候。」
三 或女の話
わたしは丁度《ちやうど》十二の時に修学旅行に直江津《なほえつ》へ行《ゆ》きました。(わたしの小学校は信州の×と云ふ町にあるのです。)その時始めて海と云ふものを見ました。それから又汽船と云ふものを見ました。汽船へ乗るには棧橋《さんばし》からはしけ[#「はしけ」に傍点]に乗らなければなりません。私達のゐた棧橋にはやはり修学旅行に来たらしい、どこか外《ほか》の小学校の生徒も大勢《おほぜい》わいわい言つてゐました。その外の小学校の生徒がはしけ[#「はしけ」に傍点]へ乗らうとした時です。黒い詰襟の洋服を着た二十四五の先生が一人《ひとり》、(いえ、わたしの学校の先生ではありません。)いきなりわたしを抱《だ》き上げてはしけ[#「はしけ」に傍点]へ乗せてしまひました。それは勿論間違ひだつたのです。その先生は暫《しばら》くたつてから、わたしの学校の先生がわたしを受けとりにやつて来た時、何度もかう言つてあやまつてゐました。――「どうもうち[#「うち」に傍点]の生徒にそつくりだもんですから。」
その先生がわたしを抱き上げてはしけ[#「はしけ」に傍点]へ乗せた時の心もちですか? わたしはずゐぶん驚きましたし、怖いやうにも思ひましたけれども、その外《ほか》にまだ何《なん》となく嬉しい気もしたやうに覚えてゐます。
四 或運転手
銀座四丁目《ぎんざよんちやうめ》。或電車の運転手が一人《ひとり》、赤旗を青旗に見ちがへたと見え、いきなり電車を動かしてしまつた。が、間違ひに気づくが早いか、途方《とほう》もないおほ声に「アヤマリ」と言つた。僕はその声を聞いた時、忽ち兵営や練兵場を感じた。僕の直覚は当たつてゐたかしら。
五 失敗
あの男は何をしても失敗してゐた。最後にも――あの男は最後には壮士役者《
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング