描いていた彼等の関係を肯定してやったのだ。君は僕が「愛《アムウル》のある結婚」を主張していたのを覚えているだろう。あれは僕が僕の利己心を満足させたいための主張じゃない。僕は愛《アムウル》をすべての上に置いた結果だったのだ。だから僕は結婚後、僕等の間の愛情が純粋なものでない事を覚った時、一方僕の軽挙を後悔すると同時に、そう云う僕と同棲《どうせい》しなければならない妻も気の毒に感じたのだ。僕は君も知っている通り、元来体も壮健じゃない。その上僕は妻を愛そうと思っていても、妻の方ではどうしても僕を愛す事が出来ないのだ、いやこれも事によると、抑《そもそも》僕の愛《アムウル》なるものが、相手にそれだけの熱を起させ得ないほど、貧弱なものだったかも知れない。だからもし妻と妻の従弟《いとこ》との間に、僕と妻との間よりもっと純粋な愛情があったら、僕は潔《いさぎよ》く幼馴染《おさななじみ》の彼等のために犠牲《ぎせい》になってやる考だった。そうしなければ愛《アムウル》をすべての上に置く僕の主張が、事実において廃《すた》ってしまう。実際あの妻の肖像画も万一そうなった暁に、妻の身代りとして僕の書斎に残して置く心算《つもり》だったのだ。』三浦はこう云いながら、また眼を向う河岸《がし》の空へ送りました。が、空はまるで黒幕でも垂らしたように、椎《しい》の樹《き》松浦《まつうら》の屋敷の上へ陰々と蔽いかかったまま、月の出らしい雲のけはいは未《いまだ》に少しも見えませんでした。私は巻煙草に火をつけた後で、『それから?』と相手を促しました。三浦『所が僕はそれから間もなく、妻の従弟の愛情《アムウル》が不純な事を発見したのだ。露骨に云えばあの男と楢山夫人との間にも、情交のある事を発見したのだ。どうして発見したかと云うような事は、君も格別聞きたくはなかろうし、僕も今更話したいとは思わない。が、とにかくある極めて偶然な機会から、僕自身彼等の密会する所を見たと云う事だけ云って置こう。』私は巻煙草の灰を舷《ふなばた》の外に落しながら、あの生稲《いくいね》の雨の夜の記憶を、まざまざと心に描き出しました。が、三浦は澱《よど》みなく言《ことば》を継《つ》いで、『これが僕にとっては、正に第一の打撃だった。僕は彼等の関係を肯定してやる根拠の一半を失ったのだから、勢い、前のような好意のある眼で、彼等の情事を見る事が出来なくなって
前へ 次へ
全20ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング