※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》の高い巻煙草を啣《くわ》えながら、じろじろ私たちの方を窺《うかが》っていたのと、ぴったり視線が出会いました。私はその浅黒い顔に何か不快な特色を見てとったので、咄嗟《とっさ》に眼を反《そ》らせながらまた眼鏡《オペラグラス》をとり上げて、見るともなく向うの桟敷《さじき》を見ますと、三浦の細君のいる桝《ます》には、もう一人女が坐っているのです。楢山《ならやま》の女権論者《じょけんろんしゃ》――と云ったら、あるいは御聞き及びになった事がないものでもありますまい。当時相当な名声のあった楢山と云う代言人《だいげんにん》の細君で、盛に男女同権を主張した、とかく如何《いかが》わしい風評が絶えた事のない女です。私はその楢山夫人が、黒の紋付の肩を張って、金縁の眼鏡《めがね》をかけながら、まるで後見《こうけん》と云う形で、三浦の細君と並んでいるのを眺めると、何と云う事もなく不吉な予感に脅《おびや》かされずにはいられませんでした。しかもあの女権論者は、骨立った顔に薄化粧をして、絶えず襟を気にしながら、私たちのいる方へ――と云うよりは恐らく隣の縞の背広の方へ、意味ありげな眼を使っているのです。私はこの芝居見物の一日が、舞台の上の菊五郎《きくごろう》や左団次《さだんじ》より、三浦の細君と縞の背広と楢山の細君とを注意するのに、より多く費されたと云ったにしても、決して過言じゃありません。それほど私は賑《にぎやか》な下座《げざ》の囃《はや》しと桜の釣枝《つりえだ》との世界にいながら、心は全然そう云うものと没交渉な、忌《いま》わしい色彩を帯びた想像に苦しめられていたのです。ですから中幕《なかまく》がすむと間もなく、あの二人の女連《おんなづ》れが向うの桟敷《さじき》にいなくなった時、私は実際肩が抜けたようなほっとした心もちを味わいました。勿論女の方はいなくなっても、縞の背広はやはり隣の桝で、しっきりなく巻煙草をふかしながら、時々私の方へ眼をやっていましたが、三《みっつ》の巴の二つがなくなった今になっては、前ほど私もその浅黒い顔が、気にならないようになっていたのです。
「と云うと私がひどく邪推《じゃすい》深いように聞えますが、これはその若い男の浅黒い顔だちが、妙に私の反感を買ったからで、どうも私とその男との間には、――あるいは私たちとその男との間には
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