予は予が最期《さいご》に際し、既往三年来、常に予が胸底に蟠《わだかま》れる、呪ふ可き秘密を告白し、以て卿等《けいら》の前に予が醜悪なる心事を暴露せんとす。卿等にして若しこの遺書を読むの後、猶《なほ》卿等の故人たる予の記憶に対し、一片|憐憫《れんびん》の情を動す事ありとせんか、そは素《もと》より予にとりて、望外の大幸なり。されど又予を目して、万死の狂徒と做《な》し、当《まさ》に屍《しかばね》に鞭打つて後|已《や》む可しとするも、予に於ては毫《がう》も遺憾とする所なし。唯、予が告白せんとする事実の、余りに意想外なるの故を以て、妄《みだり》に予を誣《し》ふるに、神経病患者の名を藉《か》る事|勿《なか》れ。予は最近数ヶ月に亘《わた》りて、不眠症の為に苦しみつつありと雖《いへど》も、予が意識は明白にして、且《かつ》極めて鋭敏なり。若し卿等にして、予が二十年来の相識《さうしき》たるを想起せんか。(予は敢《あへ》て友人とは称せざる可し)請《こ》ふ、予が精神的健康を疑ふ事勿れ。然らずんば、予が一生の汚辱を披瀝《ひれき》せんとする此遺書の如きも、結局無用の故紙《こし》たると何の選ぶ所か是《これ》あらん。
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