を殺害せざらんが為には、予自身を殺害せざる可らざるを。されど明子は如何《いかん》。」
 子爵閣下、並に夫人、こは予が日記の大略なり。大略なりと雖《いへど》も、予が連日連夜の苦悶は、卿等必ずや善く了解せん。予は本多子爵を殺さざらんが為には、予自身を殺さざる可らず。されど予にして若し予自身を救はんが為に、本多子爵を殺さんか、予は予が満村恭平を屠《ほふ》りし理由を如何の地にか求む可けん。若し又彼を毒殺したる理由にして、予の自覚せざる利己主義に伏在したるものと做《な》さんか、予の人格、予の良心、予の道徳、予の主張は、すべて地を払つて消滅す可し。是|素《もと》より予の善く忍び得る所にあらず。予は寧《むしろ》、予自身を殺すの、遙に予が精神的破産に勝《まさ》れるを信ずるものなり。故に予は予が人格を樹立せんが為に、今宵「かの丸薬」の函によりて、嘗《かつ》て予が手に僵《たふ》れたる犠牲と、同一運命を担はんとす。
 本多子爵閣下、並に夫人、予は如上《じよじやう》の理由の下に、卿等がこの遺書を手にするの時、既に死体となりて、予が寝台に横はらん。唯、死に際して、縷々《るる》予が呪ふ可き半生の秘密を告白したるは
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