は人を嚇《おど》かす気で来ていたんじゃないの?」
「ええ、ただ毎晩十二時前後にながらみ[#「ながらみ」に傍点]取りの墓の前へ来ちゃ、ぼんやり立っていただけなんです。」
Nさんの話はこう言う海辺《うみべ》にいかにもふさわしい喜劇だった。が、誰も笑うものはなかった。のみならず皆なぜともなしに黙って足ばかり運んでいた。
「さあこの辺《へん》から引っ返すかな。」
僕等はMのこう言った時、いつのまにかもう風の落ちた、人気《ひとけ》のない渚《なぎさ》を歩いていた。あたりは広い砂の上にまだ千鳥《ちどり》の足跡《あしあと》さえかすかに見えるほど明るかった。しかし海だけは見渡す限り、はるかに弧《こ》を描《えが》いた浪打ち際に一すじの水沫《みなわ》を残したまま、一面に黒ぐろと暮れかかっていた。
「じや失敬。」
「さようなら。」
HやNさんに別れた後《のち》、僕等は格別急ぎもせず、冷びえした渚を引き返した。渚には打ち寄せる浪の音のほかに時々澄み渡った蜩《ひぐらし》の声も僕等の耳へ伝わって来た。それは少くとも三町は離れた松林に鳴いている蜩だった。
「おい、M!」
僕はいつかMより五六歩あとに歩いていた
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