十一
妾宅の新年は寂しかった。門には竹が立てられたり、座敷には蓬莱《ほうらい》が飾られたりしても、お蓮《れん》は独り長火鉢の前に、屈托《くったく》らしい頬杖《ほおづえ》をついては、障子の日影が薄くなるのに、懶《ものう》い眼ばかり注いでいた。
暮に犬に死なれて以来、ただでさえ浮かない彼女の心は、ややともすると発作的《ほっさてき》な憂鬱に襲われ易かった。彼女は犬の事ばかりか、未《いまだ》にわからない男の在りかや、どうかすると顔さえ知らない、牧野《まきの》の妻の身の上までも、いろいろ思い悩んだりした。と同時にまたその頃から、折々妙な幻覚にも、悩まされるようになり始めた。――
ある時は床《とこ》へはいった彼女が、やっと眠に就《つ》こうとすると、突然何かがのったように、夜着の裾がじわり[#「じわり」に傍点]と重くなった。小犬はまだ生きていた時分、彼女の蒲団の上へ来ては、よくごろりと横になった。――ちょうどそれと同じように、柔かな重みがかかったのだった。お蓮はすぐに枕《まくら》から、そっと頭《かしら》を浮かせて見た。が、そこには掻巻《かいまき》の格子模様《こうしもよう》が、ランプの
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