るだろうに、――」
「冗談云っちゃいけない。人間の密輸入はまだ一度ぎりだ。」
 田宮は一盃ぐいとやりながら、わざとらしい渋面《じゅうめん》をつくって見せた。
「だがお蓮の今日《こんにち》あるを得たのは、実際君のおかげだよ。」
 牧野は太い腕を伸ばして、田宮へ猪口《ちょく》をさしつけた。
「そう云われると恐れ入るが、とにかくあの時は弱ったよ。おまけにまた乗った船が、ちょうど玄海《げんかい》へかかったとなると、恐ろしいしけ[#「しけ」に傍点]を食《くら》ってね。――ねえ、お蓮さん。」
「ええ、私はもう船も何も、沈んでしまうかと思いましたよ。」
 お蓮は田宮の酌《しゃく》をしながら、やっと話に調子を合わせた。が、あの船が沈んでいたら、今よりは反《かえ》って益《まし》かも知れない。――そんな事もふと考えられた。
「それがまあこうしていられるんだから、御互様《おたがいさま》に仕合せでさあ。――だがね、牧野さん。お蓮さんに丸髷が似合うようになると、もう一度また昔のなりに、返らせて見たい気もしやしないか?」
「返らせたかった所が、仕方がないじゃないか?」
「ないがさ、――ないと云えば昔の着物は、一つ
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