ついても、いろいろ世話をしてくれた人物だった。
「妙なもんじゃないか? こうやって丸髷《まるまげ》に結《ゆ》っていると、どうしても昔のお蓮さんとは見えない。」
 田宮は明《あかる》いランプの光に、薄痘痕《うすいも》のある顔を火照《ほて》らせながら、向い合った牧野へ盃《さかずき》をさした。
「ねえ、牧野さん。これが島田《しまだ》に結《ゆ》っていたとか、赤熊《しゃぐま》に結っていたとか云うんなら、こうも違っちゃ見えまいがね、何しろ以前が以前だから、――」
「おい、おい、ここの婆さんは眼は少し悪いようだが、耳は遠くもないんだからね。」
 牧野はそう注意はしても、嬉しそうににやにや笑っていた。
「大丈夫。聞えた所がわかるもんか。――ねえ、お蓮さん。あの時分の事を考えると、まるで夢のようじゃありませんか。」
 お蓮は眼を外《そ》らせたまま、膝《ひざ》の上の小犬にからかっていた。
「私も牧野さんに頼まれたから、一度は引き受けて見たようなものの、万一ばれた日にゃ大事《おおごと》だと、無事に神戸《こうべ》へ上がるまでにゃ、随分これでも気を揉《も》みましたぜ。」
「へん、そう云う危い橋なら、渡りつけているだろうに、――」
「冗談云っちゃいけない。人間の密輸入はまだ一度ぎりだ。」
 田宮は一盃ぐいとやりながら、わざとらしい渋面《じゅうめん》をつくって見せた。
「だがお蓮の今日《こんにち》あるを得たのは、実際君のおかげだよ。」
 牧野は太い腕を伸ばして、田宮へ猪口《ちょく》をさしつけた。
「そう云われると恐れ入るが、とにかくあの時は弱ったよ。おまけにまた乗った船が、ちょうど玄海《げんかい》へかかったとなると、恐ろしいしけ[#「しけ」に傍点]を食《くら》ってね。――ねえ、お蓮さん。」
「ええ、私はもう船も何も、沈んでしまうかと思いましたよ。」
 お蓮は田宮の酌《しゃく》をしながら、やっと話に調子を合わせた。が、あの船が沈んでいたら、今よりは反《かえ》って益《まし》かも知れない。――そんな事もふと考えられた。
「それがまあこうしていられるんだから、御互様《おたがいさま》に仕合せでさあ。――だがね、牧野さん。お蓮さんに丸髷が似合うようになると、もう一度また昔のなりに、返らせて見たい気もしやしないか?」
「返らせたかった所が、仕方がないじゃないか?」
「ないがさ、――ないと云えば昔の着物は、一つ
前へ 次へ
全27ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング