永久に不愉快な二重生活
芥川龍之介
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)中村《なかむら》さん
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)生活|全容《ぜんよう》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正七年十月)
−−
中村《なかむら》さん。
問題が大きいので、ちよいと手軽に考をまとめられませんが、ざつと思ふ所を云へばかうです。
元来芸術の内容となるものは、人としての我々の生活|全容《ぜんよう》に外《ほか》ならないのだから、二重生活と云ふ事は、第一義的にはある筈がないと考へます。
が、それが第二義的な意味になると、いろいろむづかしい問題が起つて来る。生活を芸術化するとか、或は逆に芸術を生活化するとか云ふ事も、そこから起つて来るのでせう。
あなたの手紙にあつた芸術家の職業問題などは、それを更に一歩|皮相《ひさう》な方面へ移して来ての問題だと思ひます。
だから「物心《ぶつしん》両面に於《お》ける人としての生活と、芸術家としての生活の関係交渉」と云つても、それぞれの意義に相当な立場をきめてかからないと、折角《せつかく》の議論は混乱するより外《ほか》にありますまい。
所で私《わたし》は前にも云つたやうに、今さう云ふ問題を辯《べん》じてゐる暇《ひま》がない。
が、強《し》ひて何か云はなければならないとなると、職業として私は英語を教へてゐるから、そこに起る二重生活が不愉快で、しかもその不愉快を超越《てうゑつ》するのは全然物質的の問題だが、生憎《あいにく》それが現代の日本では当分解決されさうもない以上、永久に我々はこの不愉快な生存を続けて行《ゆ》く外はないと云ふ位な、甚《はなはだ》平凡な事になつてしまひます。
これでよかつたら、どうか諸家の解答の中へ加へて下さい。以上。
[#地から1字上げ](大正七年十月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング