である」と云つた。ではなぜどちらも絶望であるか? これは僕の厭世《えんせい》主義の「かも知れない」を「である」と云ひ切らせたのである。君は僕を憐んだのか、不幸にもこの虚を衝《つ》かなかつた。論敵に憐まれる不愉快は夙《つと》に君も知つてゐる筈である。もし君との論戦の中に少しでも敵意を感じたとすれば、この点だけは実に業腹《ごふはら》だつた。以上。
二
新潮二月号所載|藤森淳三《ふじもりじゆんざう》氏の文(宇野浩二《うのかうじ》氏の作と人とに関する)によれば、宇野氏は当初軽蔑してゐた里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]《さとみとん》氏や芥川龍之介《あくたがはりゆうのすけ》に、色目《いろめ》を使ふやうになつたさうである。が、里見氏は姑《しばら》く問はず、事の僕に関する限り、藤森氏の言は当つてゐない。宇野氏も色目を使つたかも知れぬが、僕も又盛に色目を使つた。いや、僕自身の感じを云へば、寧《むし》ろ色目を使つたのは僕ばかりのやうにも思はれるのである。
藤森氏の文は大家《たいか》たる宇野氏に何《なん》の痛痒《つうやう》も与へぬであらう。だから僕は宇野氏の為にこの文を艸《さう》する必要を見ない。
しかし新らしい観念《イデエ》や人に色目も使はぬと云ふことは退屈そのものの証拠である。同時に又僕の恥《は》づるところである。すると色目を使つたと云ふ、常に溌剌たる生活力の証拠は宇野氏の独占に委《まか》すべきではない。僕も亦《また》分け前に与《あづか》るべきである。或は僕|一人《ひとり》に与へらるべきである。然るに偏頗《へんぱ》なる藤森氏は宇野氏にのみかう云ふ名誉を与へた。如何《いか》に脱俗《だつぞく》した僕と雖《いへど》も、嫉妬せざるを得ない所以《ゆゑん》である。
かたがた僕は小閑を幸ひ、色目の辯を艸《さう》することとした。
[#地から1字上げ](大正十三年四月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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