何《ど》うせ随筆である。そんなに難《むづ》かしく考へない方が好《よ》い。あんまり出たらめは困るけれども、必しも風格高きを要せず、名文であることを要せず、博識なるを要せず、凝《こ》ることを要しない。素朴《そぼく》に、天真爛漫《てんしんらんまん》に、おのおのの素質《そしつ》に依つて、見たり、感じたり、考へたりしたことが書いてあれば、それでよろしい」と云つてゐる。それでよろしいには違ひない。しかし問題は中村君の「あんまり出たらめは困るけれども」と云ふ、その「あんまり」に潜《ひそ》んでゐる。「あんまり出たらめ」の困ることは僕も亦《また》君と変りはない。唯君は僕よりも寛容《くわんよう》の美徳に富んでゐるのである。
なほ次手《ついで》に枝葉《しえふ》に亙《わた》れば、中村君は「近来随筆の流行漸く盛んならんとするに当つて、随筆を論ずる者、必ず一方《いつぱう》に永井荷風《ながゐかふう》氏や、近松秋江《ちかまつしうかう》氏を賞揚し、一方に若い人人のそれを嘲笑《てうせう》する傾向がある。(中略)世間が夙《つと》に認めてゐることを、尻馬《しりうま》に乗つて、屋上《をくじやう》屋《おく》を架《か》して見たつて、何《なん》の手柄《てがら》にもならない」と云つてゐる。これも同感と云ふ外はない。就中《なかんづく》「若い人人」の中に僕も加へてくれるならば、一層同感することは確かである。
しかし君の「随筆の流行といふことを、人人にはつきり意識させたのは、中戸川吉二《なかとがはきちじ》氏の始めた、雑誌「随筆」の発刊が機縁になつて居ると思ふ。(中略)しかし随筆と云ふものが、芥川氏や、その他の諸氏の定義して居るやうに難かしいものだとすると、(中略)到底《たうてい》随筆専門の雑誌の発刊なんか、思ひも及ばないことになる」と云ふのは聊《いささ》か矯激《けいげき》の言である。雑誌「随筆」は必《かならず》しも理想的随筆ばかり掲載せずとも好《よ》い。現に君の主宰《しゆさい》する雑誌「新潮」を読んで見給へ。時には多少の旧潮をも掲載してゐることは事実である。
中村|武羅夫《むらを》君
僕は大体君の文に答へ尽したと信じてゐる。が、もう一言《ひとこと》つけ加へれば、僕の随筆を論じた文も理路整然としてゐた次第ではない。僕は「清閑を得る前にはまづ金を持たなければならない。或は金を超越しなければならない。これはどちらも絶望
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