トックはなんと言っても、承知する気色《けしき》さえ見せません。のみならず何か疑わしそうに僕らの顔を見比べながら、こんなことさえ言い出すのです。
「僕は決して無政府主義者ではないよ。それだけはきっと忘れずにいてくれたまえ。――ではさようなら。チャックなどはまっぴらごめんだ。」
 僕らはぼんやりたたずんだまま、トックの後ろ姿を見送っていました。僕らは――いや、「僕ら」ではありません。学生のラップはいつの間にか往来のまん中に脚《あし》をひろげ、しっきりない自動車や人通りを股目金《まためがね》にのぞいているのです。僕はこの河童《かっぱ》も発狂したかと思い、驚いてラップを引き起こしました。
「常談《じょうだん》じゃない。何をしている?」
 しかしラップは目をこすりながら、意外にも落ち着いて返事をしました。
「いえ、あまり憂鬱《ゆううつ》ですから、さかさまに世の中をながめて見たのです。けれどもやはり同じことですね。」

        十一

 これは哲学者のマッグの書いた「阿呆《あほう》の言葉」の中の何章かです。――
        ×
 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。
  
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