》も丈夫《じょうぶ》だったし、一生食うに困らぬくらいの財産を持っていたのだよ。しかし一番しあわせだったのはやはり生まれてきた時に年よりだったことだと思っている。」
 僕はしばらくこの河童《かっぱ》と自殺したトックの話だの毎日医者に見てもらっているゲエルの話だのをしていました。が、なぜか年をとった河童はあまり僕の話などに興味のないような顔をしていました。
「ではあなたはほかの河童のように格別生きていることに執着《しゅうじゃく》を持ってはいないのですね?」
 年をとった河童は僕の顔を見ながら、静かにこう返事をしました。
「わたしもほかの河童のようにこの国へ生まれてくるかどうか、一応父親に尋ねられてから母親の胎内を離れたのだよ。」
「しかし僕はふとした拍子に、この国へ転《ころ》げ落ちてしまったのです。どうか僕にこの国から出ていかれる路《みち》を教えてください。」
「出ていかれる路は一つしかない。」
「というのは?」
「それはお前さんのここへ来た路だ。」
 僕はこの答えを聞いた時になぜか身の毛がよだちました。
「その路があいにく見つからないのです。」
 年をとった河童は水々しい目にじっと僕の顔を見つめました。それからやっと体《からだ》を起こし、部屋《へや》の隅《すみ》へ歩み寄ると、天井からそこに下がっていた一本の綱《つな》を引きました。すると今まで気のつかなかった天窓が一つ開きました。そのまた円《まる》い天窓の外には松や檜《ひのき》が枝を張った向こうに大空が青あおと晴れ渡っています。いや、大きい鏃《やじり》に似た槍《やり》ヶ岳《たけ》の峯もそびえています。僕は飛行機を見た子どものように実際飛び上がって喜びました。
「さあ、あすこから出ていくがいい。」
 年をとった河童はこう言いながら、さっきの綱を指さしました。今まで僕の綱と思っていたのは実は綱梯子《つなばしご》にできていたのです。
「ではあすこから出さしてもらいます。」
「ただわたしは前もって言うがね。出ていって後悔しないように。」
「大丈夫《だいじょうぶ》です。僕は後悔などはしません。」
 僕はこう返事をするが早いか、もう綱梯子をよじ登っていました。年をとった河童の頭の皿をはるか下にながめながら。

        一七

 僕は河童《かっぱ》の国から帰ってきた後《のち》、しばらくは我々人間の皮膚の匂《にお》いに閉口しま
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