ろの店を並べています。僕らはなんということもなしに黙って歩いてゆきました。するとそこへ通りかかったのは髪の長い詩人のトックです。トックは僕らの顔を見ると、腹の袋から手巾《ハンケチ》を出し、何度も額をぬぐいました。
「やあ、しばらく会わなかったね。僕はきょうは久しぶりにクラバックを尋ねようと思うのだが、……」
僕はこの芸術家たちを喧嘩《けんか》させては悪いと思い、クラバックのいかにも不機嫌《ふきげん》だったことを婉曲《えんきょく》にトックに話しました。
「そうか。じゃやめにしよう。なにしろクラバックは神経衰弱だからね。……僕もこの二三週間は眠られないのに弱っているのだ。」
「どうだね、僕らといっしょに散歩をしては?」
「いや、きょうはやめにしよう。おや!」
トックはこう叫ぶが早いか、しっかり僕の腕をつかみました。しかもいつか体中《からだじゅう》に冷汗を流しているのです。
「どうしたのだ?」
「どうしたのです?」
「なにあの自動車の窓の中から緑いろの猿《さる》が一匹首を出したように見えたのだよ。」
僕は多少心配になり、とにかくあの医者のチャックに診察してもらうように勧めました。しかしトックはなんと言っても、承知する気色《けしき》さえ見せません。のみならず何か疑わしそうに僕らの顔を見比べながら、こんなことさえ言い出すのです。
「僕は決して無政府主義者ではないよ。それだけはきっと忘れずにいてくれたまえ。――ではさようなら。チャックなどはまっぴらごめんだ。」
僕らはぼんやりたたずんだまま、トックの後ろ姿を見送っていました。僕らは――いや、「僕ら」ではありません。学生のラップはいつの間にか往来のまん中に脚《あし》をひろげ、しっきりない自動車や人通りを股目金《まためがね》にのぞいているのです。僕はこの河童《かっぱ》も発狂したかと思い、驚いてラップを引き起こしました。
「常談《じょうだん》じゃない。何をしている?」
しかしラップは目をこすりながら、意外にも落ち着いて返事をしました。
「いえ、あまり憂鬱《ゆううつ》ですから、さかさまに世の中をながめて見たのです。けれどもやはり同じことですね。」
十一
これは哲学者のマッグの書いた「阿呆《あほう》の言葉」の中の何章かです。――
×
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。
前へ
次へ
全43ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング