一番仕合せだつたのはやはり生まれて来た時に年よりだつたことだと思つてゐる。」
 僕は暫くこの河童と自殺したトツクの話だの毎日医者に見て貰つてゐるゲエルの話だのをしてゐました。が、なぜか年をとつた河童は余り僕の話などに興味のないやうな顔をしてゐました。
「ではあなたはほかの河童のやうに格別生きてゐることに執着を持つてはゐないのですね?」
 年をとつた河童は僕の顔を見ながら、静かにかう返事をしました。
「わたしもほかの河童のやうにこの国へ生まれて来るかどうか、一応父親に尋ねられてから母親の胎内を離れたのだよ。」
「しかし僕はふとした拍子に、この国へ転げ落ちてしまつたのです。どうか僕にこの国から出て行かれる路を教へて下さい。」
「出て行かれる路は一つしかない。」
「と云ふのは?」
「それはお前さんのここへ来た路だ。」
 僕はこの答を聞いた時になぜか身の毛がよだちました。
「その路が生憎見つからないのです。」
 年をとつた河童は水々しい目にぢつと僕の顔を見つめました。それからやつと体を起し、部屋の隅へ歩み寄ると、天井からそこに下つてゐた一本の綱を引きました。すると今まで気のつかなかつた天窓が一
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