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 僕は勿論その時にもそんなことの行はれないことをラツプに話して聞かせました。するとラツプばかりではない、ポスタアの近所にゐた河童は悉《ことごと》くげらげら笑ひ出しました。
「行はれない? だつてあなたの話ではあなたがたもやはり我々のやうに行つてゐると思ひますがね。あなたは令息が女中に惚れたり、令嬢が運転手に惚れたりするのは何の為だと思つてゐるのです? あれは皆無意識的に悪遺伝を撲滅してゐるのですよ。第一この間あなたの話したあなたがた人間の義勇隊よりも、――一本の鉄道を奪ふ為に互に殺し合ふ義勇隊ですね、――ああ云ふ義勇隊に比べれば、ずつと僕たちの義勇隊は高尚ではないかと思ひますがね。」
 ラツプは真面目にかう言ひながら、しかも太い腹だけは可笑しさうに絶えず浪立たせてゐました。が、僕は笑ふどころか、慌てて或河童を掴《つか》まへようとしました。それは僕の油断を見すまし、その河童が僕の万年筆を盗んだことに気がついたからです。しかし皮膚の滑かな河童は容易に我々には掴まりません。その河童もぬらりと辷り抜けるが早いか一散に逃げ出してしまひました。丁度蚊のやうに痩せた体を倒れるかと思ふ位のめらせながら。

[#7字下げ]五[#「五」は中見出し]

 僕はこのラツプと云ふ河童にバツグにも劣らぬ世話になりました。が、その中でも忘れられないのはトツクと云ふ河童に紹介されたことです。トツクは河童仲間の詩人です。詩人が髪を長くしてゐることは我々人間と変りません。僕は時々トツクの家へ退屈|凌《しの》ぎに遊びに行きました。トツクはいつも狭い部屋に高山植物の鉢植ゑを並べ、詩を書いたり煙草をのんだり、如何にも気楽さうに暮らしてゐました。その又部屋の隅には雌の河童が一匹、(トツクは自由恋愛家ですから、細君と云ふものは持たないのです。)編み物か何かをしてゐました。トツクは僕の顔を見ると、いつも微笑してかう言ふのです。(尤も河童の微笑するのは余り好いものではありません。少くとも僕は最初のうちは寧ろ無気味に感じたものです。)
「やあ、よく来たね。まあ、その椅子にかけ給へ。」
 トツクはよく河童の生活だの河童の芸術だのの話をしました。トツクの信ずる所によれば、当り前の河童の生活位、莫迦げてゐるものはありません。親子夫婦兄弟などと云ふのは悉《ことごと》く互に苦し
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