顔をした。
「半之丞の子は?」
「連れっ子をして行ったです。その子供がまたチブスになって、……」
「死んだんですか?」
「いいや、子供は助かった代りに看病《かんびょう》したお松が患《わずら》いついたです。もう死んで十年になるですが、……」
「やっぱりチブスで?」
「チブスじゃないです。医者は何とか言っていたですが、まあ看病疲れですな。」
 ちょうどその時我々は郵便局の前に出ていました。小さい日本建《にほんだて》の郵便局の前には若楓《わかかえで》が枝を伸《の》ばしています。その枝に半ば遮《さえぎ》られた、埃《ほこり》だらけの硝子《ガラス》窓の中にはずんぐりした小倉服《こくらふく》の青年が一人、事務を執《と》っているのが見えました。
「あれですよ。半之丞の子と言うのは。」
「な」の字さんもわたしも足を止めながら、思わず窓の中を覗《のぞ》きこみました。その青年が片頬《かたほお》に手をやったなり、ペンが何かを動かしている姿は妙に我々には嬉しかったのです。しかしどうも世の中はうっかり感心も出来ません、二三歩先に立った宿の主人は眼鏡《めがね》越しに我々を振り返ると、いつか薄笑いを浮かべているのです。
「あいつももう仕かたがないのですよ。『青ペン』通いばかりしているのですから。」
 我々はそれから「き」の字橋まで口をきかずに歩いて行《ゆ》きました。……
[#地から1字上げ](大正十四年四月)



底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:大野晋
1999年1月17日公開
2004年3月9日修正
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