。始めは清河《せいか》の崔氏《さいし》の女《むすめ》と一しょになりました。うつくしいつつましやかな女だったような気がします。そうして明《あく》る年、進士《しんし》の試験に及第して、渭南《いなん》の尉《い》になりました。それから、監察御史《かんさつぎょし》や起居舎人《ききょしゃじん》知制誥《ちせいこう》を経て、とんとん拍子に中書門下《ちゅうしょもんか》平章事《へいしょうじ》になりましたが、讒《ざん》を受けてあぶなく殺される所をやっと助かって、驩州《かんしゅう》へ流される事になりました。そこにかれこれ五六年もいましたろう。やがて、冤《えん》を雪《すす》ぐ事が出来たおかげでまた召還され、中書令《ちゅうしょれい》になり、燕国公《えんこくこう》に封ぜられましたが、その時はもういい年だったかと思います。子が五人に、孫が何十人とありましたから。」
「それから、どうしました。」
「死にました。確か八十を越していたように覚えていますが。」
呂翁《ろおう》は、得意らしく髭を撫でた。
「では、寵辱《ちょうじょく》の道も窮達《きゅうたつ》の運も、一通りは味わって来た訳ですね。それは結構な事でした。生きると云
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