煙草と悪魔
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)煙草《たばこ》は、
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)松永|弾正《だんじやう》を
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(例)[#地から2字上げ](大正五年十月)
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煙草《たばこ》は、本来、日本になかつた植物である。では、何時《いつ》頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度《はつと》銭法度《ぜにはつと》、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首《らくしゆ》が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。――
そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙《ポルトガル》人とか、西班牙《スペイン》人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連《ばてれん》か(恐らくは、フランシス上人《しやうにん》)がはるばる日本へつれて来たのださうである。
かう云ふと、切支丹《きりしたん》宗門の信者は、彼等のパアテルを誣《し》ひるものとして、自分を咎《とが》めようとするかも知れない。が、自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。
しかし、その悪魔が実際、煙草を持つて来たかどうか、それは、自分にも、保証する事が出来ない。尤《もつと》もアナトオル・フランスの書いた物によると、悪魔は木犀草《もくせいさう》の花で、或坊さんを誘惑しようとした事があるさうである。して見ると、煙草を、日本へ持つて来たと云ふ事も、満更嘘だとばかりは、云へないであらう。よし又それが嘘にしても、その嘘は又、或意味で、存外、ほんとうに近い事があるかも知れない。――自分は、かう云ふ考へで、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。
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