みんなあげます。この外にも、珍陀《ちんた》の酒をあげませう。それとも、波羅葦僧垤利阿利《はらいそてれある》の絵をあげますか。
牛商人は、相手があまり、熱心なのに、驚いたらしい。
――では、あたらなかつたら、どう致しませう。
伊留満は帽子をあみだに、かぶり直しながら、手を振つて、笑つた。牛商人が、聊《いささか》、意外に思つた位、鋭い、鴉《からす》のやうな声で、笑つたのである。
――あたらなかつたら、私があなたに、何かもらひませう。賭《かけ》です。あたるか、あたらないかの賭です。あたつたら、これをみんな、あなたにあげますから。
かう云ふ中に紅毛は、何時《いつ》か又、人なつこい声に、帰つてゐた。
――よろしうございます。では、私も奮発して、何でもあなたの仰有《おつしや》るものを、差上げませう。
――何でもくれますか、その牛でも。
――これでよろしければ、今でも差上げます。
牛商人は、笑ひながら、黄牛《あめうし》の額を、撫でた。彼はどこまでも、これを、人の好い伊留満の、冗談だと思つてゐるらしい。
――その代り、私が勝つたら、その花のさく草を頂きますよ。
――よろしい。よろしい。では、確に約束しましたね。
――確に、御約定《おやくぢやう》致しました。御主《おんあるじ》エス・クリストの御名にお誓ひ申しまして。
伊留満は、これを聞くと、小さな眼を輝かせて、二三度、満足さうに、鼻を鳴らした。それから、左手を腰にあてて、少し反《そ》り身になりながら、右手で紫の花にさはつて見て、
――では、あたらなかつたら――あなたの体と魂とを、貰ひますよ。
かう云つて、紅毛は、大きく右の手をまはしながら、帽子をぬいだ。もぢやもぢやした髪の毛の中には、山羊《やぎ》のやうな角《つの》が二本、はえてゐる。牛商人は、思はず顔の色を変へて、持つてゐた笠を、地に落した。日のかげつたせゐであらう、畑の花や葉が、一時に、あざやかな光を失つた。牛さへ、何におびえたのか、角を低くしながら、地鳴りのやうな声で、唸つてゐる。……
――私にした約束でも、約束は、約束ですよ。私が名を云へないものを指して、あなたは、誓つたでせう。忘れてはいけません。期限は、三日ですから。では、さやうなら。
人を莫迦《ばか》にしたやうな、慇懃《いんぎん》な調子で、かう云ひながら、悪魔は、わざと、牛商人に丁寧なおじ
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