その上、蹄《ひづめ》の音と、鳴く声とは、うすい夜の霧をうごかして、ものものしく、四方《あたり》に響き渡つた。すると、窓の戸をあけて、顔を出したものがある。暗いので、顔はわからないが、伊留満に化けた悪魔には、相違ない。気のせゐか、頭の角は、夜目ながら、はつきり見えた。
――この畜生、何だつて、己《おれ》の煙草畑を荒らすのだ。
悪魔は、手をふりながら、睡《ね》むさうな声で、かう怒鳴つた。寝入りばなの邪魔をされたのが、よくよく癪《しやく》にさはつたらしい。
が、畑の後へかくれて、容子《ようす》を窺《うかが》つてゐた牛商人の耳へは、悪魔のこの語《ことば》が、泥烏須《でうす》の声のやうに、響いた。……
――この畜生、何だつて、己の煙草畑を荒らすのだ。
* * *
それから、先の事は、あらゆるこの種類の話のやうに、至極、円満に完《をは》つてゐる。即《すなはち》、牛商人は、首尾よく、煙草と云ふ名を、云ひあてて、悪魔に鼻をあかさせた。さうして、その畑にはえてゐる煙草を、悉く自分のものにした。と云ふやうな次第である。
が、自分は、昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと思つてゐる。何故と云へば、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにする事は出来なかつたが、その代《かはり》に、煙草は、洽《あまね》く日本全国に、普及させる事が出来た。して見ると牛商人の救抜《きうばつ》が、一面堕落を伴つてゐるやうに、悪魔の失敗も、一面成功を伴つてゐはしないだらうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝つたと思ふ時にも、人間は存外、負けてゐる事がありはしないだらうか。
それから序《ついで》に、悪魔のなり行きを、簡単に、書いて置かう。彼は、フランシス上人が、帰つて来ると共に、神聖なペンタグラマの威力によつて、とうとう、その土地から、逐払《おひはら》はれた。が、その後も、やはり伊留満のなりをして、方々をさまよつて、歩いたものらしい。或記録によると、彼は、南蛮寺の建立《こんりふ》前後、京都にも、屡々《しばしば》出没したさうである。松永|弾正《だんじやう》を飜弄《ほんろう》した例の果心居士《くわしんこじ》と云ふ男は、この悪魔だと云ふ説もあるが、これはラフカデイオ・ヘルン先生が書いてゐるから、ここには、御免を蒙《かうむ》る事にしよう。それから
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