に、黙っている。斉広には、それが不思議であった。
いや、不思議だったばかりではない。しまいには、それが何となく不安になった。そこで彼はまた河内山の来かかったのを見た時に、今度はこっちから声をかけた。
「宗俊、煙管をとらそうか。」
「いえ、難有《ありがと》うございますが、手前はもう、以前に頂いて居りまする。」
宗俊は、斉広が飜弄《ほんろう》するとでも思ったのであろう。丁寧な語の中《うち》に、鋭い口気《こうき》を籠めてこう云った。
斉広はこれを聞くと、不快そうに、顔をくもらせた。長崎煙草の味も今では、口にあわない。急に今まで感じていた、百万石の勢力が、この金無垢の煙管の先から出る煙の如く、多愛《たわい》なく消えてゆくような気がしたからである。……
古老《ころう》の伝える所によると、前田家では斉広以後、斉泰《なりやす》も、慶寧《よしやす》も、煙管は皆真鍮のものを用いたそうである、事によると、これは、金無垢の煙管に懲《こ》りた斉広が、子孫に遺誡《いかい》でも垂れた結果かも知れない。
[#地から1字上げ](大正五年十月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
198
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