。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。それが今年は、特に、少かつた。さうして気のせゐか、何時もより、余程味が好い。そこで、彼は飲んでしまつた後の椀をしげしげと眺めながら、うすい口髭についてゐる滴《しづく》を、掌で拭いて誰に云ふともなく、「何時になつたら、これに飽ける事かのう」と、かう云つた。
「大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないさうな。」
 五位の語《ことば》が完《をは》らない中に、誰かが、嘲笑《あざわら》つた。錆《さび》のある、鷹揚《おうやう》な、武人らしい声である。五位は、猫背の首を挙げて、臆病らしく、その人の方を見た。声の主は、その頃同じ基経の恪勤《かくごん》になつてゐた、民部卿時長の子藤原|利仁《としひと》である。肩幅の広い、身長《みのたけ》の群を抜いた逞《たくま》しい大男で、これは、※[#「火+(世/木)」、第3水準1−87−56]栗《ゆでぐり》を噛みながら、黒酒《くろき》の杯《さかづき》を重ねてゐた。もう大分酔がまはつてゐるらしい。
「お気の毒な事ぢやの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫《れんびん》とを一つにしたやうな声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。」
 始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空《から》の椀とを等分に見比べてゐた。
「おいやかな。」
「……」
「どうぢや。」
「……」
 五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まつてゐるのを感じ出した。答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦《ばか》にされさうな気さへする。彼は躊躇《ちうちよ》した。もし、その時に、相手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時《いつ》までも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。
 彼は、それを聞くと、慌《あわただ》しく答へた。
「いや……忝《かたじけな》うござる。」
 この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。
「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅《とうくわうきつこう》を盛つた窪坏《くぼつき》や高坏の上に多くの揉《もみ》烏帽子や立《たて》烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、最《もつとも》、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。
「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。「……しかと、よろしいな。」
「忝うござる。」
 五位は赤くなつて、吃《ども》りながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層|可笑《をか》しさうに広い肩をゆすつて、哄笑《こうせう》した。この朔北《さくほく》の野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。
 しかし幸《さいはひ》に談話の中心は、程なく、この二人を離れてしまつた。これは事によると、外の連中が、たとひ嘲弄にしろ、一同の注意をこの赤鼻の五位に集中させるのが、不快だつたからかも知れない。兎に角、談柄《だんぺい》はそれからそれへと移つて、酒も肴《さかな》も残少《のこりすくな》になつた時分には、某《なにがし》と云ふ侍|学生《がくしやう》が、行縢《むかばき》の片皮へ、両足を入れて馬に乗らうとした話が、一座の興味を集めてゐた。が、五位だけは、まるで外の話が聞えないらしい。恐らく芋粥の二字が、彼のすべての思量を支配してゐるからであらう。前に雉子《きぎす》の炙《や》いたのがあつても、箸をつけない。黒酒の杯があつても、口を触れない。彼は、唯、両手を膝の上に置いて、見合ひをする娘のやうに霜に犯されかかつた鬢《びん》の辺まで、初心《うぶ》らしく上気しながら、何時までも空になつた黒塗の椀を見つめて、多愛もなく、微笑してゐるのである。……

       ―――――――――――――――――

 それから、四五日たつた日の午前、加茂川の河原に沿つて、粟田口《あはたぐち》へ通ふ街道を、静に馬を進めてゆく二人の男があつた。一人は濃い縹《はなだ》の狩衣《かりぎぬ》に同じ色の袴をして、打出《うちで》の太刀を佩《は》いた「鬚黒く鬢《びん》ぐきよき」男である。もう一人は、みすぼらしい青鈍《あをにび》の水干に、薄綿の衣《きぬ》を二つばかり重ねて着た、四十恰好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子《ようす》と云ひ、赤鼻でしかも穴のあたりが、洟《はな》にぬれてゐる容子と云ひ、身のまはり万端のみすぼらしい事|夥《おびただ》しい。尤も、馬は二人とも、前のは月毛《つきげ》、後のは蘆毛《あしげ》の三歳駒で、道をゆく物売りや侍も、振向いて見る程の駿足である。その後から又二人、馬の歩みに遅れまいとして随《つ》いて行くのは、調度掛と舎人《とねり》とに相違ない。――これが、利仁と五位との一行である事は、わざわざ、ここに断るまでもない話であらう。
 冬とは云ひながら、物静に晴れた日で、白けた河原の石の間、潺湲《せんくわん》たる水の辺《ほとり》に立枯れてゐる蓬《よもぎ》の葉を、ゆする程の風もない。川に臨んだ背の低い柳は、葉のない枝に飴《あめ》の如く滑かな日の光りをうけて、梢《こずゑ》にゐる鶺鴒《せきれい》の尾を動かすのさへ、鮮かに、それと、影を街道に落してゐる。東山の暗い緑の上に、霜に焦げた天鵞絨《びろうど》のやうな肩を、丸々と出してゐるのは、大方、比叡《ひえい》の山であらう。二人はその中に鞍《くら》の螺鈿《らでん》を、まばゆく日にきらめかせながら鞭をも加へず悠々と、粟田口を指して行くのである。
「どこでござるかな、手前をつれて行つて、やらうと仰せられるのは。」五位が馴れない手に手綱をかいくりながら、云つた。
「すぐ、そこぢや。お案じになる程遠くはない。」
「すると、粟田口辺でござるかな。」
「まづ、さう思はれたがよろしからう。」
 利仁は今朝五位を誘ふのに、東山の近くに湯の湧いてゐる所があるから、そこへ行かうと云つて出て来たのである。赤鼻の五位は、それを真《ま》にうけた。久しく湯にはいらないので、体中がこの間からむづ痒《がゆ》い。芋粥の馳走になつた上に、入湯が出来れば、願つてもない仕合せである。かう思つて、予《あらかじ》め利仁が牽かせて来た、蘆毛の馬に跨《またが》つた。所が、轡《くつわ》を並べて此処まで来て見ると、どうも利仁はこの近所へ来るつもりではないらしい。現に、さうかうしてゐる中に、粟田口は通りすぎた。
「粟田口では、ござらぬのう。」
「いかにも、もそつと、あなたでな。」
 利仁は、微笑を含みながら、わざと、五位の顔を見ないやうにして、静に馬を歩ませてゐる。両側の人家は、次第に稀になつて、今は、広々とした冬田の上に、餌をあさる鴉《からす》が見えるばかり、山の陰に消残つて、雪の色も仄《ほのか》に青く煙つてゐる。晴れながら、とげとげしい櫨《はじ》の梢が、眼に痛く空を刺してゐるのさへ、何となく肌寒い。
「では、山科《やましな》辺ででもござるかな。」
「山科は、これぢや。もそつと、さきでござるよ。」
 成程、さう云ふ中に、山科も通りすぎた。それ所ではない。何かとする中に、関山も後にして、彼是《かれこれ》、午《ひる》少しすぎた時分には、とうとう三井寺の前へ来た。三井寺には、利仁の懇意にしてゐる僧がある。二人はその僧を訪ねて、午餐《ひるげ》の馳走になつた。それがすむと、又、馬に乗つて、途を急ぐ。行手は今まで来た路に比べると遙に人煙が少ない。殊に当時は盗賊が四方に横行した、物騒な時代である。――五位は猫背を一層低くしながら、利仁の顔を見上げるやうにして訊ねた。
「まだ、さきでござるのう。」
 利仁は微笑した。悪戯《いたづら》をして、それを見つけられさうになつた子供が、年長者に向つてするやうな微笑である。鼻の先へよせた皺《しわ》と、眼尻にたたへた筋肉のたるみとが、笑つてしまはうか、しまふまいかとためらつてゐるらしい。さうして、とうとう、かう云つた。
「実はな、敦賀《つるが》まで、お連れ申さうと思うたのぢや。」笑ひながら、利仁は鞭を挙げて遠くの空を指さした。その鞭の下には、的※[#「白+轢のつくり」、第3水準1−88−69]《てきれき》として、午後の日を受けた近江《あふみ》の湖が光つてゐる。
 五位は、狼狽《らうばい》した。
「敦賀と申すと、あの越前《ゑちぜん》の敦賀でござるかな。あの越前の――」
 利仁が、敦賀の人、藤原|有仁《ありひと》の女婿《ぢよせい》になつてから、多くは敦賀に住んでゐると云ふ事も、日頃から聞いてゐない事はない。が、その敦賀まで自分をつれて行く気だらうとは、今の今まで思はなかつた。第一、幾多の山河を隔ててゐる越前の国へ、この通り、僅二人の伴人《ともびと》をつれただけで、どうして無事に行かれよう。ましてこの頃は、往来《ゆきき》の旅人が、盗賊の為に殺されたと云ふ噂《うはさ》さへ、諸方にある。――五位は歎願するやうに、利仁の顔を見た。
「それは又、滅相な、東山ぢやと心得れば、山科。山科ぢやと心得れば、三井寺。揚句が越前の敦賀とは、一体どうしたと云ふ事でござる。始めから、さう仰せられうなら、下人共なりと、召つれようものを。――敦賀とは、滅相な。」
 五位は、殆どべそ[#「べそ」に傍点]を掻かないばかりになつて、呟《つぶや》いた。もし「芋粥に飽かむ」事が、彼の勇気を鼓舞しなかつたとしたら、彼は恐らく、そこから別れて、京都へ独り帰つて来た事であらう。
「利仁が一人居るのは、千人ともお思ひなされ。路次の心配は、御無用ぢや。」
 五位の狼狽するのを見ると、利仁は、少し眉を顰《しか》めながら、嘲笑《あざわら》つた。さうして調度掛を呼寄せて、持たせて来た壺胡※[#「竹かんむり/(「碌」の「石」に代えて「金」)」、第3水準1−89−79]《つぼやなぐひ》を背に負ふと、やはり、その手から、黒漆《こくしつ》の真弓《まゆみ》をうけ取つて、それを鞍上に横へながら、先に立つて、馬を進めた。かうなる以上、意気地のない五位は、利仁の意志に盲従するより外に仕方がない。それで、彼は心細さうに、荒涼とした周囲の原野を眺めながら、うろ覚えの観音経《くわんおんぎやう》を口の中に念じ念じ、例の赤鼻を鞍の前輪にすりつけるやうにして、覚束ない馬の歩みを、不相変《あひかはらず》とぼとぼと進めて行つた。
 馬蹄の反響する野は、茫々たる黄茅《くわうばう》に蔽《おほ》はれて、その所々にある行潦《みづたまり》も、つめたく、青空を映したまま、この冬の午後を、何時かそれなり凍つてしまふかと疑はれる。その涯《はて》には、一帯の山脈が、日に背いてゐるせゐか、かがやく可き残雪の光もなく、紫がかつた暗い色を、長々となすつてゐるが、それさへ蕭条《せうでう》たる幾叢《いくむら》の枯薄《かれすすき》に遮《さへぎ》られて、二人の従者の眼には、はいらない事が多い。――すると、利仁が、突然、五位の方をふりむいて、声をかけた。
「あれに、よい使者が参つた。敦賀への言づけを申さう。」
 五位は利仁の云ふ意味が、よくわからないので、怖々《こはごは》ながら、その弓で指さす方を、眺めて見た。元より人の姿が見えるやうな所ではない。唯、野葡萄《のぶだう》か何かの蔓《つる》が、灌木の一むらにからみついてゐる中を、一疋の狐が、暖かな毛の色を、傾きかけた日に曝《さら》しながら、のそりのそり歩いて行く。――と思ふ中に、狐は、慌《あわ》ただしく身を跳らせて、一散に、どこともなく走り出した。利仁が急に、鞭を鳴らせて、その方へ馬を飛ばし始めたからである。五位も、われを忘れて、利仁の後を、逐《お》つた。従者も勿論、遅れてはゐられない。しばらくは、石を蹴る馬蹄の音が、戞々《かつか
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