、後《あと》へ尿《いばり》を入れて置いたと云ふ事を書けば、その外は凡《およそ》、想像される事だらうと思ふ。
しかし、五位はこれらの揶揄《やゆ》に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。黙つて例の薄い口髭を撫でながら、するだけの事をしてすましてゐる。唯、同僚の悪戯が、嵩《かう》じすぎて、髷《まげ》に紙切れをつけたり、太刀《たち》の鞘《さや》に草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、お身たちは。」と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或いぢらしさに打たれてしまふ。(彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。)――さう云ふ気が、朧《おぼろ》げながら、彼等の心に、一瞬の間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも持続ける者は甚少い。その少い中の一人に、或無位の侍があつた。これは丹波《たんば》の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の
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