年となく、辛抱して待つてゐたのが、如何にも、無駄な骨折のやうに、見えてしまふ。出来る事なら、突然何か故障が起つて一旦、芋粥が飲めなくなつてから、又、その故障がなくなつて、今度は、やつとこれにありつけると云ふやうな、そんな手続きに、万事を運ばせたい。――こんな考へが、「こまつぶり」のやうに、ぐるぐる一つ所を廻つてゐる中に、何時か、五位は、旅の疲れで、ぐつすり、熟睡してしまつた。
 翌朝、眼がさめると、直《すぐ》に、昨夜の山の芋の一件が、気になるので、五位は、何よりも先に部屋の蔀《しとみ》をあげて見た。すると、知らない中に、寝すごして、もう卯時《うのとき》をすぎてゐたのであらう。広庭へ敷いた、四五枚の長筵《ながむしろ》の上には、丸太のやうな物が、凡《およ》そ、二三千本、斜につき出した、檜皮葺《ひはだぶき》の軒先へつかへる程、山のやうに、積んである。見るとそれが、悉く、切口三寸、長さ五尺の途方もなく大きい、山の芋であつた。
 五位は、寝起きの眼をこすりながら、殆ど周章に近い驚愕《きやうがく》に襲はれて、呆然《ばうぜん》と、周囲を見廻した。広庭の所々には、新しく打つたらしい杭の上に五斛納釜《ごくなふがま》を五つ六つ、かけ連ねて、白い布の襖《あを》を着た若い下司女《げすをんな》が、何十人となく、そのまはりに動いてゐる。火を焚きつけるもの、灰を掻くもの、或は、新しい白木の桶《をけ》に、「あまづらみせん」を汲んで釜の中へ入れるもの、皆芋粥をつくる準備で、眼のまはる程忙しい。釜の下から上る煙と、釜の中から湧く湯気とが、まだ消え残つてゐる明方の靄と一つになつて、広庭一面、はつきり物も見定められない程、灰色のものが罩《こ》めた中で、赤いのは、烈々と燃え上る釜の下の焔ばかり、眼に見るもの、耳に聞くもの悉く、戦場か火事場へでも行つたやうな騒ぎである。五位は、今更のやうに、この巨大な山の芋が、この巨大な五斛納釜の中で、芋粥になる事を考へた。さうして、自分が、その芋粥を食ふ為に京都から、わざわざ、越前の敦賀まで旅をして来た事を考へた。考へれば考へる程、何一つ、情無くならないものはない。我五位の同情すべき食慾は、実に、此時もう、一半を減却《げんきやく》してしまつたのである。
 それから、一時間の後、五位は利仁や舅《しうと》の有仁《ありひと》と共に、朝飯の膳に向つた。前にあるのは、銀《しろがね》の提《ひさげ》の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。五位はさつき、あの軒まで積上げた山の芋を、何十人かの若い男が、薄刃を器用に動かしながら、片端から削るやうに、勢よく切るのを見た。それからそれを、あの下司女たちが、右往左往に馳せちがつて、一つのこらず、五斛納釜へすくつては入れ、すくつては入れするのを見た。最後に、その山の芋が、一つも長筵の上に見えなくなつた時に、芋のにほひと、甘葛《あまづら》のにほひとを含んだ、幾道《いくだう》かの湯気の柱が、蓬々然《ほうほうぜん》として、釜の中から、晴れた朝の空へ、舞上つて行くのを見た。これを、目《ま》のあたりに見た彼が、今、提に入れた芋粥に対した時、まだ、口をつけない中から、既に、満腹を感じたのは、恐らく、無理もない次第であらう。――五位は、提を前にして、間の悪さうに、額の汗を拭いた。
「芋粥に飽かれた事が、ござらぬげな。どうぞ、遠慮なく召上つて下され。」
 舅の有仁は、童児たちに云ひつけて、更に幾つかの銀の提を膳の上に並べさせた。中にはどれも芋粥が、溢《あふ》れんばかりにはいつてゐる。五位は眼をつぶつて、唯でさへ赤い鼻を、一層赤くしながら、提に半分ばかりの芋粥を大きな土器《かはらけ》にすくつて、いやいやながら飲み干した。
「父も、さう申すぢやて。平《ひら》に、遠慮は御無用ぢや。」
 利仁も側から、新な提をすすめて、意地悪く笑ひながらこんな事を云ふ。弱つたのは五位である。遠慮のない所を云へば、始めから芋粥は、一椀も吸ひたくない。それを今、我慢して、やつと、提に半分だけ平げた。これ以上、飲めば、喉を越さない中にもどしてしまふ、さうかと云つて、飲まなければ、利仁や有仁の厚意を無にするのも、同じである。そこで、彼は又眼をつぶつて、残りの半分を三分の一程飲み干した。もう後は一口も吸ひやうがない。
「何とも、忝うござつた。もう十分頂戴致したて。――いやはや、何とも忝うござつた。」
 五位は、しどろもどろになつて、かう云つた。余程弱つたと見えて、口髭にも、鼻の先にも、冬とは思はれない程、汗が玉になつて、垂れてゐる。
「これは又、御少食ぢや。客人は、遠慮をされると見えたぞ。それそれその方ども、何を致して居る。」
 童児たちは、有仁の語につれて、新な提の中から、芋粥を、土器《かはらけ》に汲まうとする。五位は、両手を
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