つて、何であらう。……
では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。五位は五六年前から芋粥《いもがゆ》と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛《あまづら》の汁で煮た、粥の事を云ふのである。当時はこれが、無上の佳味として、上は万乗《ばんじよう》の君の食膳にさへ、上せられた。従つて、吾五位の如き人間の口へは、年に一度、臨時の客の折にしか、はいらない。その時でさへ、飲めるのは僅に喉《のど》を沾《うるほ》すに足る程の少量である。そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支《さしつかへ》ない程であつた。――人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまふ。その愚を哂《わら》ふ者は、畢竟《ひつきやう》、人生に対する路傍の人に過ぎない。
しかし、五位が夢想してゐた、「芋粥に飽かむ」事は、存外容易に事実となつて現れた。その始終を書かうと云ふのが、芋粥の話の目的なのである。
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或年の正月二日、基経の第《だい》に、所謂《いはゆる》臨時の客があつた時の事である。(臨時の客は二宮《にぐう》の大饗《だいきやう》と同日に摂政関白家が、大臣以下の上達部《かんだちめ》を招いて催す饗宴で、大饗と別に変りがない。)五位も、外の侍たちにまじつて、その残肴《ざんかう》の相伴《しやうばん》をした。当時はまだ、取食《とりば》みの習慣がなくて、残肴は、その家の侍が一堂に集まつて、食ふ事になつてゐたからである。尤《もつと》も、大饗に等しいと云つても昔の事だから、品数の多い割りに碌な物はない、餅、伏菟《ふと》、蒸鮑《むしあはび》、干鳥《ほしどり》、宇治の氷魚《ひを》、近江《あふみ》の鮒《ふな》、鯛の楚割《すはやり》、鮭の内子《こごもり》、焼蛸《やきだこ》、大海老《おほえび》、大柑子《おほかうじ》、小柑子、橘、串柿などの類《たぐひ》である。唯、その中に、例の芋粥があつた。五位は毎年、この芋粥を楽しみにしてゐる
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