る。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴《きくとぢ》の色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車を牽《ひ》いてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。それに佩《は》いてゐる太刀も、頗る覚束《おぼつか》ない物で、柄《つか》の金具も如何《いかが》はしければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦《ばか》にするのも、無理はない。現に、かう云ふ事さへあつた。……
 或る日、五位が三条坊門を神泉苑の方へ行く所で、子供が六七人、路ばたに集つて、何かしてゐるのを見た事がある。「こまつぶり」でも、廻してゐるのかと思つて、後ろから覗いて見ると、何処《どこ》かから迷つて来た、尨犬《むくいぬ》の首へ繩をつけて、打つたり殴《たた》いたりしてゐるのであつた。臆病な五位は、これまで何かに同情を寄せる事があつても、あたりへ気を兼ねて、まだ一度もそれを行為に現はしたことがない。が、この時だけは相手が子供だと云ふので、幾分か勇気が出た。そこで出来るだけ、笑顔をつくりながら、年かさらしい子供の肩を叩いて、「もう、堪忍してやりなされ。犬も打たれれば、痛いでのう」と声をかけた。すると、その子供はふりかへりながら、上眼を使つて、蔑《さげ》すむやうに、ぢろぢろ五位の姿を見た。云はば侍所の別当が用の通じない時に、この男を見るやうな顔をして、見たのである。「いらぬ世話はやかれたうもない。」その子供は一足下りながら、高慢な唇を反らせて、かう云つた。「何ぢや、この鼻赤めが。」五位はこの語《ことば》が自分の顔を打つたやうに感じた。が、それは悪態をつかれて、腹が立つたからでは毛頭ない。云はなくともいい事を云つて、恥をかいた自分が、情なくなつたからである。彼は、きまりが悪いのを苦しい笑顔に隠しながら、黙つて、又、神泉苑の方へ歩き出した。後では、子供が、六七人、肩を寄せて、「べつかつかう」をしたり、舌を出したりしてゐる。勿論彼はそんな事を知らない。知つてゐたにしても、それが、この意気地のない五位にと
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